憐れみの聖母
カトリック中原教会
Nakahara Catholic Church
カトリック中原教会へようこそ


かつてあった東横病院内でミサを捧げていた人々をきっかけとして、1958年アトンメント会が武蔵小杉に設立した教会です。
教会はすべての人のために開かれています。
信徒の方でなくても、いつでもどなたでも自由に入ってお祈りください。興味のある方、ミサに参加してみたい方、お祈りをされたい方、初めての方でも大歓迎です。
どうぞお気軽にお越しください。
聖週間のお知らせ
聖週間の予定をアップしました。こちらからご覧ください。
更新情報
ミサについて

ミサは、どなたでも参加できます
聖堂入ってすぐの場所においてある「聖書と典礼」というパンフレットをお持ちください。
「案内」の腕章をつけた係りの者に声をかけていただければご案内いたします。
アクセス
所在地
〒211-0064 神奈川県川崎市中原区今井南町17番3
TEL/FAX
044-722-6060 / 044-733-9311

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今週の聖書朗読 2025年6月22日
今週の福音
第1朗読 創世記 14章18~20節
第2朗読 コリントの信徒への手紙一 11章23~26節
福音朗読 ルカによる福音書 9章11b~17節キリストの聖体
私たちは、ミサが最高の祈りの形態であることを理解して、日曜日の典礼にいつものように与っています。私たちは、共同体としてミサを祝います。実際、私たちはミサに与る度に、神さまに私たちをお捧げし続けている事の理解を深め続けていくのです。私たちは、文字通りキリストの御からだをいただき、私たちのこころとからだが強められ、そして、こころが新たにされます。今年のお祝いでは、特に福音朗読の中で強調されているように、私たちの「回心」の実り、つまり、イエス様が五千人の人々の空腹を満たされたように、私たちも人々を満たすという召命を受け止めることができた事を広めるようにと召されています。
第1朗読では、サレムの王であり、祭司であるメルキゼデクについて書かれています。彼は、祭司としての役割として、アブラハムにパンとぶどう酒を与えました。この出来事は、パンとぶどう酒がキリストの御からだと御血となる聖体祭儀を予示しています。私たちは、また、永遠の祭司であるキリストについて、そして、イエス様の究極のいけにえとしてご自身をお捧げになったことについて黙想します。
また、私たちは、共同体としての今日のお祝いを大切にしています。典礼としてミサを祝うという事は、まさに本質であり不可欠なもので、そして、積極的な参加が求められる共同体の祭儀です。積極的に参加するという事は、こころとからだをほんとうの平静さのうちに保ち、一人ひとりがイエス様のご生涯、ご受難、死、そして、ご復活において、自分自身をほんとうに見極めるようにと求められる事です。積極的に参加する一人ひとりは、キリストの御からだの一部として、ひとつのからだ、つまり、キリストの御からだとしての信仰共同体を形づくります。結果として、一人ひとりがイエス様と完全に一致するという事は、イエス様と共同体とのつながりとなります。今日の第2朗読の次の章(1コリント12.12~)では、キリストの御からだとしての信仰共同体について書かれています。からだはひとつでも、多くの部分から成っています。私たちは、キリストの御からだなのです。私たちの一人ひとりは、キリストの御からだの一部なのです。
今日のキリストの聖体の祭日について、私たちが黙想を続ける中で、一般的に主の晩餐のミサとして理解されている聖週間の木曜日の典礼のテーマに少し近づくかもしれません。そうなった場合、強調されることは、イエス様がご聖体を制定された事、そして、イエス様のご受難と死の前の最後の宣教のひとつとしての私たちへの贈り物であるご聖体についてです。贈り物としてのご聖体は、人類の想いとこころに永遠に保たれるべき神さまの愛の記念となります。イエス様は、最後の晩餐の時に、ご聖体を制定されました。イエス様は、パンがイエス様の御からだであり、杯が新しい契約の御血であると言われ、私たちは、このパンを食べ、この杯を飲む度に、イエス様が再び来られる時まで、イエス様のご受難と死を告げ知らせるのです。
ミサ以外の時でさえも、イエス様はパンの姿でご聖櫃におられます。ご聖体を訪問し、ご聖櫃の前で「まさに、居られる」という存在故に、ご聖体の神秘の恵みをいただくという事は、敬虔なカトリック信者にとって、慰めとなる祈りの方法です。ご聖体のそばに居ることは、退屈でも疲れる事でもありません。それどころか、実際、ご聖体の内にほんとうに居られるイエス様の御ちからは、私たちをもっと近くへと引き寄せ、「まさに、そこに居られる」という存在故に、もっとたくさんの時間をと望むようにと導かれるのです。ご聖体の内にある御ちからは、また、私たちと同じ信仰を持つ病者の癒しへと広がっていくという信仰でもあります。ご聖櫃の前で静かな時を過ごす人々や、同様に、聖体顕示(聖なるひととき)に与る人々は、神さまの祝福を受けるのです。主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー