憐れみの聖母

カトリック中原教会

Nakahara Catholic Church

カトリック中原教会へようこそ


かつてあった聖マリアンナ医科大学東横病院内でミサを捧げていた人々をきっかけとして、1958年アトンメント会が武蔵小杉に設立した教会です。

教会はすべての人のために開かれています。
信徒の方でなくても、いつでもどなたでも自由に入ってお祈りください。興味のある方、ミサに参加してみたい方、お祈りをされたい方、初めての方でも大歓迎です。

どうぞお気軽にお越しください。

お知らせ

平日ミサのお知らせ

現在、平日のミサは月曜日、水曜日、木曜日になります。

 月曜日  7:00
 水曜日 11:00
 木曜日  7:00

カトリック中原教会からのお知らせ

ミサについて

ミサは、どなたでも参加できます。
聖堂入ってすぐの場所においてある「聖書と典礼」というパンフレットをお持ちください。
「案内」の腕章をつけた係りの者に声をかけていただければご案内いたします。

主日のミサ日曜日11:00
平日のミサ月曜日7:00
火曜日休止
水曜日11:00
木曜日7:00
金曜日休止
土曜日休止

アクセス

所在地


 〒211-0064 神奈川県川崎市中原区今井南町17番3  

TEL/FAX


 044-722-6060 / 044-733-9311

  • 今週の聖書朗読 2026年9月27日

    今週の福音

    第1朗読 エゼキエル書 18章25~28節
    第2朗読 フィリピの信徒への手紙 2章1~11節
    福音朗読 マタイによる福音書 21章28~32節

    (外部サイト:聖パウロ女子修道会が開きます)

    年間第26主日

    空約束ではなく、真の行動を
    神の慈しみに対する私たちの応答

    今日の黙想にあたり、先週のごミサの朗読箇所で教えられた神の正義について思い出すと良いでしょう。今日の第一朗読は、神の正義は常に回心の余地を残していることを私たちに思い起こさせることで、その教えをさらに深めています。人が悪行から離れ、正しい行いを始めるとき、その人は生きるのです。

    したがって、神の正義は単に罰と報いだけを意味するものではありません。神は罪人を正しい道へと呼び戻し続けます。神の願いは罪人を滅ぼすことではなく、罪人が罪から離れ、生きることです。

    同時に、罪そのものにも結果が伴います。利己心、嫉妬、暴力、怒り、憎しみ、貪欲といった選択をすると、他者との関係を損ない、自分自身を傷つけ、徐々に神から遠ざかってしまいます。罪が私たちの生活に根付くことを許してしまうと、霊的な成長にとって危険なものとなり得るのです。

    だからこそ、悔い改めがこれほどまでに大事なのです。

    私たちは、良心を糾明し、個人および共同体の罪を正直に認めることによって、神の慈しみに応えます。自らの過ちを認めることは、特に聖なる告解と具体的な愛の行いを通して、悔い改めと変容へと私たちを導くはずです。聖霊は私たちを導き、心を改め、異なる生き方をする勇気を与えてくださいます。

    さて、ここで今日の福音書に移りましょう。

    イエスは二人の息子について語っています。一人は父親に「はい」と答えましたが、ぶどう園には行きませんでした。もう一人は「いいえ」と答えましたが、後に考えを変えて行きました。

    イエスは、重要なのは私たちが何を言うかではなく、実際に父の御心を行うかどうかであると明確に述べています。そして、これを悔い改めと直接結びつけています。罪人と見なされていた人々はヨハネの呼びかけに応えて生活を変えましたが、呼びかけを聞いたものの悔い改めなかった人々もいました。

    だからこそ、空約束よりも真摯な行動の方が重要なのです。

    神への「はい」という応答は、言葉だけに留まってはいけません。それは、私たちの生活の中で徐々に目に見える形で表れていく必要があります。

    そして、ここで第二朗読が、そのような人生がどのようなものであるべきかについて、さらに深い理解を与えてくれます。

    聖パウロは私たちに「キリストにみられるのと同じ心構えを持ちなさい」と教えています。 彼は謙遜、従順、そして自分自身の利益だけでなく他者の利益にも目を向けることについて語っています。そして、イエスご自身を模範として示しています。キリストは自らを低くし、従順になり、十字架上の死に至るまで従順であられたのです。

    したがって、神への私たちの応答は、単に「はい」と言うことではありません。キリストの心と態度が、私たちの生きざまを形作るようにすることなのです。

    私たちはそれぞれ異なる文化圏出身で、社会における立場も異なるかもしれません。しかし、私たちは皆、キリストと同じ姿勢で生きるよう召されています。

    これは、私たちが「すべての命を守る月間」を祝うにあたって、特に意味があることです。

    命を守ることは、単なる善意や口先だけの信念であってはなりません。それは、私たちが実際に生きることでなければならないのです。私たちが他者、特に弱い立場にある人々をどのように扱うかは、神への「はい」が、私たちの人生における真の「はい」になっているかどうかを映し出します。

    したがって、我々が直面している問題は、単に神に「はい」と答えるかどうかという問題ではありません。

    それは、私たちの生きざまが徐々に「はい」という答えになりつつあるかどうか、ということです。

    神が私たちに、どこを変えるべきかを認識する謙虚さ、悔い改める勇気、そしてキリストの態度が私たちの生活の中でますます顕著になるような恵みを与えてくださいますように。

    アーメン。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー