憐れみの聖母

カトリック中原教会

Nakahara Catholic Church

カトリック中原教会へようこそ


かつてあった聖マリアンナ医科大学東横病院内でミサを捧げていた人々をきっかけとして、1958年アトンメント会が武蔵小杉に設立した教会です。

教会はすべての人のために開かれています。
信徒の方でなくても、いつでもどなたでも自由に入ってお祈りください。興味のある方、ミサに参加してみたい方、お祈りをされたい方、初めての方でも大歓迎です。

どうぞお気軽にお越しください。

お知らせ

聖週間のお知らせ

4/2 17:00 聖木曜日(主の晩さん) ※鹿島田19:00
4/3 17:00 聖金曜日(主の受難)大斎・小祭 ※鹿島田19:00
4/4 19:30 聖土曜日(復活徹夜祭) ※鹿島田17:00
4/5 11:00 復活の主日 ※鹿島田9:00

金曜日ミサのお休みについて(2026/2/27〜3/27)

2026/2/27〜3/27の金曜日のミサについてはお休みいたします。

カトリック中原教会からのお知らせ

お知らせ(2026/02/22)
お知らせ(2026/01/24)
お知らせ(2026/01/02)

ミサについて

ミサは、どなたでも参加できます
聖堂入ってすぐの場所においてある「聖書と典礼」というパンフレットをお持ちください。
「案内」の腕章をつけた係りの者に声をかけていただければご案内いたします。

主日のミサ日曜日11:00
平日のミサ火曜日19:00
水曜日11:00
木曜日7:00
金曜日11:00

アクセス

所在地


 〒211-0064 神奈川県川崎市中原区今井南町17番3  

TEL/FAX


 044-722-6060 / 044-733-9311

  • 今週の聖書朗読 2026年3月22日

    今週の福音

    第1朗読 エゼキエル書 37章12~14節
    第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章8~11節
    福音朗読 ヨハネによる福音書 11章1~45節

    (外部サイト:聖パウロ女子修道会が開きます)

    四旬節第5主日

    今日は、四旬節第5主日です。今日のミサでは、成人洗礼志願者のための三つの特別な 意向の祈りのうちの最後の祈りを捧げます。聖週間の典礼が近づくにつれて、私たちは洗礼志願者のために、そして、彼らと共に祈り続け、共に人間としての現実の生活の中で勇気 づけられていきます。イエス様のご受難と死についてのこの時期の四旬節の黙想で、 イエス様のご復活は、私たちの小さな共同体やそれぞれの家庭、そして、今日の私たちの 世界が良いものとなっていく希望のしるしであると、私たちは受けとめます。私たちは、 平和のために祈り続け、希望を持ち続け、働きかけていくのです。今日の福音朗読の ラザロの死からのよみがえりは、イエス様が「復活であり、いのちである。」という事への理解を深めていくものです。 

    今日の朗読のエゼキエルの予言では、神の民を墓からよみがえらせるという神さまの意向/理由について書かれています。それは、死者の骨であふれている谷がよみがえったという 話で、つまり、罪と偶像崇拝のために死んだイスラエルが、神さまの力を認識して、 神さまのうちによみがえったというたとえ話です。神さまの彼らへの意向は、神さまこそ 唯一の神であることを心から知ることなのです。 

    ラザロは、よみがえったすべての人びと、つまり洗礼によってキリストのうちに新しい命を与えられるすべての人びとを象徴しています。少なくとも3つの事について黙想して みましょう。

    • 洗礼は、新しい命への入口です。
      古い命の時は、私たちの救い主であり、贖い主であるイエス様の事を、私はほとんど受け入れていませんでした。新しい命となって、キリストの霊をしっかり受け止めるのです。
    • 私たちは、日々の回心へと招かれています。
      悔い改めと私たちの主の赦しによって、私はよみがえります。
    • キリストのうちにある新しい命とは、イエス様の救いの使命に参加する事です。
      私は、隣人たちに手を差し伸べ、現在の自分の苦しみと同様に、自分の癒しの経験を隣人たちと分かち合います。

    今日の第2朗読では、キリストの霊のうちに生きる事について書かれています。人類の持つ本性のある部分は、とても人間的で素早い反応や行動をする事を正当化し、それらはとても普通で自然体であると主張するかもしれません。けれども、「この命」のもっとも深い 意味と目的を追求するという事は、私たちを聖霊のうちにある真の命、すなわちイエス様の救いの使命への参加へを導きます。私たちのうちにあるキリストの霊は、今までに見た事のないものを、私たちに見せてくれる事ができます。人類の持つ本性のある種の破壊的な 一面の自己中心的な表現に応じてしまう事で、私たちは、長い間、自分たち自身や隣人 たちを傷つけ、それ故に、多くの人類の苦しみや死をもたらす事になっているのかも しれません。

    キリストの霊を持たない者は、キリストに属いていません。
    キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、
    霊は義によって命となっています。 (ローマ8.10参照)

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー