今週の聖書朗読 2025年4月13日

今週の福音

第1朗読 イザヤ書 50章4~7節
第2朗読 フィリピの信徒への手紙三 2章6~11節
福音朗読 ルカによる福音書 22章14~23章56節

受難の主日

 聖週間の始まりの日の朗読は、聖週間を復活のお祝いを記念するにふさわしい心の準備へと、私たちを導いてくれます。この1週間にわたる聖週間を記念する典礼のうちに、私たちが過去から脱することができるという事は、私たちがキリスト者としての日常の経験を通して、イエス様のご受難と私たちのつながりをより深く理解するという事です。ですから、挑戦であるにもかかわらず、神さまのみことば/神さまからのメッセージを声高らかに宣言し続ける決意は、すべてにおいて、この聖週間とは何であるのかという事へのより深い真の理解のうちに、もうひとつの恵みをもたらしてくれるのです。イエス様のご受難と死においてのイエス様についての物語は、この世の多くの深い苦しみと痛みを象徴し続けています。
 私たちは、1度だけのことではなく、私たちの教会生活において、必ず毎年、聖週間を記念する典礼を行います。イエス様のいわゆる逃れる事のできないご受難の経験(苦しみ、痛み、裁判、十字架上での死)を、私たちは心に刻み付けています。
 イエス様は、忍耐、謙虚、犠牲、従順を持って、お応えになりました。今回も、また、キリスト者としての毎日の生活の中で、私たちが、そのより深いつながりを理解することができますように。私たちが現代のキリスト者としての生活とつなげて、神さまのご意向と、イエス様ご自身の避ける事のできないご受難に対するイエス様のこれらの大いなるご受容を、本当に見出していく事ができますように。
 イエス様のエルサレム入城が、私たちの現在の生き方において何を象徴しているのかを、私たち皆がほんとうに証しすることができますように。また、まわりの人びとの苦しみや痛みを和らげる生きた道具となる事ができますように。そして、謙虚で忍耐を持ち、希望とイエス様への深い信仰を喜びのうちにもたらす者となる事ができますように。

主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー