今週の聖書朗読 2026年1月11日

今週の福音

第1朗読 イザヤ書 42章1~4、6~7節
第2朗読 使徒言行録 10章34~38節
福音朗読 マタイによる福音書 3章13~17節

(外部サイト:聖パウロ女子修道会が開きます)

主の洗礼

教会の典礼暦A年における主の公現の祭日から一週間を経て、主の洗礼の記念日になります。イエス様は、ヨルダン川でヨハネによって洗礼をお受けになります。イエス様がヨルダン川から上がられると、聖霊が鳩のように降り、イエス様の事をわたしの愛する子と呼ばれる父である神さまの声が天から聞こえます(マタイ3.16)。ですから、今日の私たちの黙想は、イエス様とは誰なのか、そして、何のために来られたのかという事が中心となります。同時に、私たちは、イエス様の公の宣教が、ご自身の洗礼から始まったという事を理解するでしょう。このヨルダン川での重要な出来事は、イエス様が、教え、癒し、そして、奇跡を行われるために尽くされ神の国の事を宣べ伝えるという神聖なる使命を受け入れられた事を示しています。 

今日のイエス様の洗礼のお祝いは、ヨルダン川で起きたすべての出来事と共に、神さまの愛、聖霊の力、イエス様がすべての人々にもたらされた希望を、私たちに思い起こさせてくれます。イエス様がなぜ洗礼をお受けにならなければいけなかったのかという理由は、イエス様と人類との一致の大いなる表れだからです。罪びととしてではなく、イエス様の私たちと同じ人類としての一致は、ご受難と十字架上での死によって、また、これらの出来事を通して、究極の表れとなっています。この黙想を通して、イエス様の洗礼の記念が、私たち自身の洗礼にも当てはまるという事に気付くことができますように。 

私たちは、「原罪を取り除き、神さまの子どもになる」といった洗礼の秘跡のなせる業について教えられ、それ故に、キリスト者の生きた共同体の一員となります(なりつつあります)。私たちは、キリストの御からだのほんものの積極的な一員となるよう、また、それ故に、もっともっと福音の生きた証人となるようにと、ずっと招かれ続けているのです。これは、イエス様の洗礼を深く理解し続けていく上で、洗礼者ヨハネが人々に水によって洗礼を授けていた時の彼の宣言によって、私たちが自身の洗礼の持つ意味をもっと深く掘り下げるための勇気を持つ事ができるようにという、最も大いなる希望となります。現在の私たちの希望は、聖霊と火による洗礼であり、私たちに聖なる使命に導かれた生き方を可能にしてくれるものなのです。

主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー