今週の聖書朗読 2026年7月5日

今週の福音

第1朗読 ゼカリヤ書 9章9~10節
第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章9、11~13節
福音朗読 マタイによる福音書 11章25~30節

(外部サイト:聖パウロ女子修道会が開きます)

年間第14主日

先週の聖書朗読によると、イエス様に従うにあたっては大変厳しい要求がされます。キリストの弟子と呼ばれるためには、神に仕えながら物質的な所有物を欲しがったり、この世の多くのものに執着していてはなりません。私たちは家族を社会の基本単位であると考えてきましたが、先週の日曜日の福音書では、イエスが「自分の父や母、息子や娘を私よりも優先する者は、私にふさわしくない。自分の十字架を負って私の足跡に従わない者は、私にふさわしくない」とおっしゃっていると、学びました。このような厳しい要求を突きつけられてイエスに従うことは、大変な重荷ではないでしょうか。

しかし、今日の福音朗読では、神の慈しみをたやすく見出すことができます。神のところに来て、むしろ神のくびきを負いなさい、なぜなら神のくびきは負いやすく、その荷は軽いから、という招きが表現されているのです。先週の日曜日に分かち合った、キリストの弟子としての根本的な要求と、真の平和、解放、喜びへと招く神の温かさと慈しみの間には、矛盾があるように思われます。今日の私たちの基本的な目的は、イエスは一人であり、福音も一つであるゆえに、福音のテーマは互いに矛盾しないということを、見出すことです。

第一朗読では、エルサレムに、へりくだってロバに乗って来る王、そしてすべての国々に平和をもたらす王について語られています。ゼカリヤ書の王と同一視されるイエスもまた平和をもたらされます。そして今日の福音書では、イエスは特に重労働を強いられ、重荷を担っている人々を招いておられます。

繰り返しますが、この世のすべてを捨て去るべきと説くキリストの弟子としての生き方と、重荷を負うすべての人への神の招きは、同じことを強調しています。つまり神の愛と憐れみ、そして和解への招きを語っているのです。ですから、今日の第二朗読は、私たちがどのように肉に従って生きてきたか、そして物質的な所有物を唯一の宝、そして唯一のセーフティーネットだと考えてきたか、その結果、私たちの心がどのように肉に従って生き続けてきたのかを、深く考えるようにうながします。この結果、私たちは神の言葉に飢え 渇き、気づかないうちに私たちの生き方が本当に疲れに満ち、また他の人々にも重荷を負わせてきたことに気づくのです。

私たちは、イエスと共に常に歩むよう呼びかけられています。イエスご自身の人生の見方、基準、価値観と共に歩むことは、容易な軛を​​負い、軽い荷を背負うことを意味します。イエスと共に、そして他の人々と共に軛を背負うことで、弟子としての義務は軽くなるのです。

主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー