今週の聖書朗読 2025年11月2日

今週の福音

第1朗読 知恵の書 3章1~6、9節
第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章31b~35、37~39節
福音朗読 ヨハネによる福音書 6章37~40節

死者の日

万霊節は、「死者の日」としても知られています。私たちは、亡くなった兄弟姉妹たちを偲び、祈ります。カトリック教会は、煉獄で天国へ行くための準備をし、天国への道を進んでいくという事を信じて、すべての霊のために特別に祈ります。今日は、11月2日で死者の日です。今日の特別なことばの典礼から黙想を始めましょう。今日の第1朗読では、「神に従う人の魂は神の手で守られ、もはやいかなる責め苦も受ける事はない」とはっきり書かれています。この点において、神さまが私たちのお父さんであり、私たちは神さまのこどもであるという基本的な理解から、私たちは黙想を始める事ができます。私たちは神さまのためにあり、そして、皆が神の民なのです。言わば私たちは皆が神さまのもの故に、神さまは、私たちやすべての被造物をお救いになります。これが私たちの信仰であり、希望なのです。けれども、11月1日は諸聖人の祝日です。彼らは、かつて地上で、とても人間的な経験をして生きてきました。そのうちの何人かは人生の半分、もしくはそれ以上の間、私たちと同じように罪を犯してきたかもしれませんが、しかし、彼らは自分たちの弱さを認め、悔い改め、奉仕生活を送り、神さまに従いました。また、何人かは、純粋に信心深く、日々を心の回心のために捧げました。

第2朗読では、神さまと私たち神の民、また、神さまと地上では聖人のように生きる事がなかったかもしれない亡くなった人々とのつながりについて詳しく書かれています。私たちは、そんな彼らが神さまの永遠の愛といつくしみのうちに、天の父の家へと戻ることができると信じ続けています。私たちは、ただ祈るべきでしょう。ローマの教会への手紙の中でパウロは、「死も、いのちも、...他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」と書いています。

すべての魂の安息を求める生者である私たちの祈りは、今日のミサに与る私たちのメインとなる目的です。今日の祈りの集まりで、私たちは一般的な嘆願の祈りを捧げますが、ひとの子(私たちの主、救い主イエス・キリスト)でさえも、仕えられるためではなく仕えるため、また、多くの人々の贖いとしてご自身のいのちを捧げるために来られた(マルコ10.45)事に対して、私たちは心からの感謝を捧げます。私たちは今日に至るまで、この良い知らせを守ってきています。今日の福音朗読では、天の父のみこころについて、同じような表現で書かれています。かつてイエス様は、御子を見て信じるすべての人は永遠のいのちを与えられ、そして、終わりの日に神さまはその人たちを復活させられるとおっしゃいました。今日、私たちはここに集まり、亡くなった愛する人たちのために祈るという文化と伝統を守りながら、私たちの亡くなった兄弟姉妹たちのための記念日が、生きている私たちの終わりの時でもある事に気付くことができますように。また、私たち一人ひとりが、確実に神さまの救いのご計画の成就のために欠くことのできない回心をするできるようにと、私たちは祈ります。全ての人に対して忍耐強く、心を砕いて下さる神さまがおられる故に、私たちも自分自身や隣人たちに対して忍耐強くあるべきでしょう。私たちには欠点があり、失敗し、間違いを犯します。私たちは、いつも自分たちの弱さを乗り越え、私たち自身や隣人たちやその他のすべての被造物のための、すべての創り主である神さまの素晴らしいご意向を知る事ができるようにと願っています。

主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー