今週の聖書朗読 2026年2月22日

今週の福音

第1朗読 創世記 2章7~9節、3章1~7節
第2朗読 ローマの信徒への手紙 5章12~19節
福音朗読 マタイによる福音書 4章1~11節

(外部サイト:聖パウロ女子修道会が開きます)

四旬節第1主日

祈り、断食、そして、施しは、敬虔なユダヤの人々の主な行いです。これらの行いは、特に四旬節の間、私たちクリスチャンにとっても然るべき行いです。今年の典礼カレンダーより、灰の水曜日は2月18日、また、受難の主日は3月29日、聖なる過ぎ越しの三日間は、その週の木曜日、金曜日、土曜日となっています。 

四旬節の間、これらのすべての行いは、ひっそりと傲慢でないことが大切であると強調されています。これらは、私たちを神さまと神さまのなさることに近づけるという本当の目的を見失わないことを目指すものです。私たちは、この四旬節の行いが、周りの人々に見せるためのものではないという事を、苦なくして思い起こします。これは、不必要な傲慢さを招かず、周りの人びとの注意を引いてしまわないように気を付けなくてはいけないことを意味しているのかもしれません。 

施しの行いと同様に断食の行いは共により深い意味を持っていますが、私は、特にこの40日間の四旬節の間、これらを文字通りに行うよう私たち全員が招かれていると信じています。一方、私たちの多くは、例えばダイエットのために食べるのを減らすことに慣れていますが、四旬節の断食はそれ以上のものです。実際に、断食は自己愛(自己中心)から隣人愛(他者優先)へと、私たちを駆り立てるものです。しかしながら、高齢者にとっての四旬節の間の健康を、四旬節の間に薦められている断食の目的そのものと考えあわせ、適切で健全な決断をすることが必要かもしれません。私たちは、私たちが持っているものを、必要としている人々に分かち合うこと(寛大さ/思いやり)を忘れてはなりません。ある人は、いつもの食事を控え、持っているお金を食べる物のない人々に分け与えるようにと言い続けているかもしれません。これらの行いは、誰かに見せるためのものではなく、静かに行うことが大切です。 

灰の水曜日の灰は、現在の私たちにとって、とても深い意味を示しているので、私たちが四旬節の間の典礼などに積極的に参加する際、その他もろもろの多くのしるしや象徴と向き合う事でしょう。私たちは、十字架の道行の祈りのグループに入っているかもしれませんし、四旬節以外でもロザリオの祈りを捧げたり、十字架の前でもっと祈ったり、聖週間が近づくにつれて、もっと座ったり、ひざまずいたりするかもしれません。けれども、神様のより偉大なる栄光のために、私たちの言葉と行動の真実と神聖な意図を、皆が忘れる事のないようにしましょう。 

今日の第1朗読では、誘惑に負けてしまったアダムとイブについて書かれています。彼らの物語では、どのようにしてこの世に罪がもたらされたのかという事が多く語られていますが、今日の福音朗読で、イエス様は、荒れ野で誘惑を受け、悪魔からの最良と思われる申し出を退けるのです。ローマの教会への手紙の中でパウロは、旧約の時代の1人の男の決断によって、この世に罪と死がもたらされ、1人のイエス様を通して多くの人々に命をもたらした神さまの恵みについて語っています。 

1人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、
1人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。

(ローマ5章19節)

四旬節第1主日は、私たちが罪を遠ざけ、イエス様にもっと近くで従う事を、四旬節の早い時期に思い出させてくれるものです。私たちが、十字架上のキリストに積極的に従い、十字架のもたらす勝利の証人に、そして、分かち合う者となりますように。神さまからの祝福を受け、皆さまにとって実り多き四旬節となりますように。

主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー