投稿者: 管理者

  • 今週の聖書朗読 2026年1月11日

    今週の福音

    第1朗読 イザヤ書 42章1~4、6~7節
    第2朗読 使徒言行録 10章34~38節
    福音朗読 マタイによる福音書 3章13~17節

    (外部サイト:聖パウロ女子修道会が開きます)

    主の洗礼

    教会の典礼暦A年における主の公現の祭日から一週間を経て、主の洗礼の記念日になります。イエス様は、ヨルダン川でヨハネによって洗礼をお受けになります。イエス様がヨルダン川から上がられると、聖霊が鳩のように降り、イエス様の事をわたしの愛する子と呼ばれる父である神さまの声が天から聞こえます(マタイ3.16)。ですから、今日の私たちの黙想は、イエス様とは誰なのか、そして、何のために来られたのかという事が中心となります。同時に、私たちは、イエス様の公の宣教が、ご自身の洗礼から始まったという事を理解するでしょう。このヨルダン川での重要な出来事は、イエス様が、教え、癒し、そして、奇跡を行われるために尽くされ神の国の事を宣べ伝えるという神聖なる使命を受け入れられた事を示しています。 

    今日のイエス様の洗礼のお祝いは、ヨルダン川で起きたすべての出来事と共に、神さまの愛、聖霊の力、イエス様がすべての人々にもたらされた希望を、私たちに思い起こさせてくれます。イエス様がなぜ洗礼をお受けにならなければいけなかったのかという理由は、イエス様と人類との一致の大いなる表れだからです。罪びととしてではなく、イエス様の私たちと同じ人類としての一致は、ご受難と十字架上での死によって、また、これらの出来事を通して、究極の表れとなっています。この黙想を通して、イエス様の洗礼の記念が、私たち自身の洗礼にも当てはまるという事に気付くことができますように。 

    私たちは、「原罪を取り除き、神さまの子どもになる」といった洗礼の秘跡のなせる業について教えられ、それ故に、キリスト者の生きた共同体の一員となります(なりつつあります)。私たちは、キリストの御からだのほんものの積極的な一員となるよう、また、それ故に、もっともっと福音の生きた証人となるようにと、ずっと招かれ続けているのです。これは、イエス様の洗礼を深く理解し続けていく上で、洗礼者ヨハネが人々に水によって洗礼を授けていた時の彼の宣言によって、私たちが自身の洗礼の持つ意味をもっと深く掘り下げるための勇気を持つ事ができるようにという、最も大いなる希望となります。現在の私たちの希望は、聖霊と火による洗礼であり、私たちに聖なる使命に導かれた生き方を可能にしてくれるものなのです。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • カトリック中原教会からのお知らせ(2026/01/02)

    教会委員会

    1/4(日)クリスマス装飾片付け

    1月4日(日)ミサ後にクリスマス装飾の後片付けを行います。ご協力・お手伝いのほどよろしくお願いします。


    第一部門(典礼)

    1/18(日)第一部門会議

    1月18日(日)ミサ後に第一部門の部会を開催予定です。
    ミサ後、第二信徒会館図書室にお集まりください。


    第二部門(信仰教育)

    聖書を読む会

    毎週日曜日10:10〜10:40まで第2信徒会館図書室で「聖書を読む会」を行っております。どなたでもご参加頂けます。現在旧約聖書を朗読中ですが聖書をお持ちにならなくても教会にある聖書を借りることができます。皆さまのご参加をお待ちしております。


    第三部門(社会活動)

    バザー実行委員募集

    2月8日(日)にミニバザーの開催を予定しており、実行委員を募集しています。みんなと楽しみながら作り上げてみたい方、教会のお仕事に参加して交流したい方、ぜひお声がけください。お一人にすべてお任せするということではなく、教会委員会始め信徒みんなで作り上げるバザーのとりまとめをお願いしたいです。

    ミニバザーご協力のお願い

    ・献品のご協力をお願いします。第一信徒会館ホールの段ボールに入れてください。
    ・今回はダルク(琉球太鼓演奏)、レジネス(コーヒー豆)、ラリグラス(ビーズアクセサリー)、ろばの家(お菓子)、便利屋ふじさんなど多数の団体が参加を予定しています。中原の信徒だけでなく、他教会の方や信徒以外のご友人もぜひお誘いいただき、みんなで楽しい一日を過ごしましょう。

  • 今週の聖書朗読 2026年1月4日

    今週の福音

    第1朗読 イザヤ書 60章1~6節
    第2朗読 エフェソの信徒への手紙 3章2,3b,5~6節
    福音朗読 マタイによる福音書 2章1~12節

    (外部サイト:聖パウロ女子修道会が開きます)

    主の公言

    今日、私たちはイエス様が世界に向けて、公にお現われになった事をお祝いし、それ故に、今日という日を主の公現の祭日としています。そして、私たちは、お生まれになったイエス様を探して遠方から旅をしてきた東方の3博士(3人の賢者)の訪問を思い起こします。彼らは星に導かれて、イエス様がどこに居られるのかを探しました。東方の3博士の訪問は、私たちが思い起こす事のできる象徴的な出来事です。東方の3博士は、光に導かれ、喜びを見出し、贈り物を捧げました。しばしば3博士の訪問は、生れや文化に関わらぬすべての人びとへの神さまの無限の愛の表れとされています。この出来事は、イエス様がすべての人びとのために来られ、真理を求める人は誰でも、イエス様のもとに行くことができるということを、私たちに思い起こさせてくれます。 

    特に今日の朗読は、光について私たちに教えてくれています。このは、暗闇を照らします。私たちは、とにかく光に従うように、そして、3博士のように、私たちがイエス様の王権・神権・神性、また、人類のための将来的な苦しみ・犠牲・死に対しての真理を追い求める事での深い喜びを見出すようにと招かれているのです。 

    私たちは、キリストの使命と、私たち一人ひとりも光を広めていくようにというキリストの招きについて黙想し続けましょう。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2025年12月28日

    今週の福音

    第1朗読 シラ書 3章2~6、12~14節
    第2朗読 コロサイの信徒への手紙 3章12~21節
    福音朗読 マタイによる福音書 2章13~15、19~23節

    (外部サイト:聖パウロ女子修道会が開きます)

    聖家族

    クリスマスの後、私たちは、聖家族の祝日をお祝いします。聖家族(イエス,マリア,ヨセフ)を家族の模範として、私たちは皆、家族生活が美しいものであり、召命であると確信しています。各々の家族は、さまざまな方法で神聖であるようにと招かれています。両親には、子どもたちの世話をし、守るという責任があります。それ故に、今日の朗読は、両親を尊び/敬い、家族の一人ひとりを心にかけ、平和のうちに生活する事について書かれています。今日の福音朗読では、特に、イエス様とマリア様と共に、ヘロデの脅威から逃れるために、ヨセフ様がどのようにして、危険に直面した聖家族を守られたのかが描かれています。また、マリア様とヨセフ様が幼子のイエス様とはぐれ(両親としてイエス様が迷子になられたと思い、心配された。)、後に神殿で幼子のイエス様を見つけられた事も聖書には書かれています。 

    けれども、今日の黙想は、聖家族を単に幼子イエス様と、誠実にイエス様のおそばにおられるマリア様とヨセフ様のイメージとして捉える事ではありません。数年の後、マリア様は、ご自分の息子が人々を惹きつけている事に気付かれます。何人かの人々は、イエス様の言葉に聞き従いますが、後に、マリア様はご自分の息子がとても強い敵意の的となり、逮捕され裁判にかけられるのを見る事となります。マリア様は、母としての苦しみを受けなければなりませんでした。 これ以降、ヨセフ様は父として静かに過ごされます。ヨセフ様のお名前は、次第に聖書の中でも現れる事はなくなり、神さまのご計画へと引き継がれました。イエス様は裁判での判決を受け、鞭うたれ、いばらの冠をかぶせられ、そして、何人かの人々はイエス様のために心を痛めましたが、彼らの言葉はまったく聞いてもらえず、二人の罪人と共に群衆のあざけりの中で亡くなられました。 

    私たちは皆、聖家族の一人ひとりが、すべての事を美しくご計画されている神さまに信頼と信仰を持ちつつ、本当の困難に対してどのようにして立ち向かったのかを知るようにと招かれています。今日の聖家族のお祝いは、私たちに家族の生活を通して神さまが働きかけられ、いつも私たちの家庭に神さまがおいでになるという事を教えてくれています。 

    今日、私たちは家族と教会についても黙想するために時間をかけるでしょう。キリストの内にひとつの家族としての教会は祈り、聖家族を私たちの模範として、無条件の愛というキリスト者の視点を生み出すために助け支えます。全てのキリスト者の家族とキリスト者でない人々の家族に、神さまの豊かなお恵みがありますように。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2025年12月21日

    今週の福音

    第1朗読 イザヤ書 7章10~14節
    第2朗読 ローマの信徒への手紙 1章1~7節
    福音朗読 マタイによる福音書 1章18~24節

    待降節第4主日

    今日は待降節第4主日で、私たちは再び喜びに満ち溢れ、キリストの降誕を祝う事を心から待ち望んでいます。私たちの多くが、隣人たちや友達や親戚や家族とともにクリスマスのお祝いをしているか、または仕事関係の予定のために遅れたクリスマスと新年のお祝いの両方を、どうにか計画しているかもしれません。年間の教会暦に沿うと、私たちには、クリスマスまでたったの4日間しかなく、つまり待降節の黙想は終わりを告げようとしているのです。 

    今日の朗読は、キリストの降誕に関する神さまのメインとなるメッセージを私たちが理解することに対して、もう少し焦点を当てるようにと招いています。今日の朗読は、預言者や神さまの使者たちによって与えられたしるしによる長期的な準備、そして、これらの実現のために招かれた人々によって、どのようにキリストの降誕が訪れたのかを物語っています。今日の第1朗読でイザヤは、しるしについて語っています;見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。実際に、この事は「いつも」私たちがキリストの降誕をお祝いする根本的な動機となっています。そして、私たちは、キリストの降誕における私たちのうちにある神さまの存在をより理解するようになりました。パウロはローマの教会への手紙(第2朗読)で、救いの福音を分かち合い、かつて約束されたイエス様のことを、初期のキリスト者たちに思い起こさせています。 

    福音朗読では、マリア様を法的な妻として受け入れ、イエス様を自分の法的な息子として受け入れる事への、ヨセフ様の深刻な窮地が描かれています。普通の人びと以上に、すなわち正しい人であったヨセフ様はモーセの律法を十分に考慮し、ひそかに縁を切ろうと決心しました。ひそかに縁を切るという事は、たしかにヨセフ様の思いやりのある行動です。けれども、ヨセフ様は、神さまの声に耳を傾け、マリア様を迎え入れる事を選びました。天使がヨセフ様に現れ、この結婚を取りやめないようにと伝え、そして、このこどもは、神さまの聖霊によってマリア様に宿られたという事を、しっかりと受け入れさせたのです。ここで、私たちはヨセフ様の召命について深く黙想してみましょう。同時に、私たちも日々の生活の中にある多様な状況を、いつも考慮するようにと招かれています。道徳的かつ霊的な窮地に直面した時、私たち皆で、深く考え、思いやりを持って、赦し、心から愛するようにしましょう。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2025年12月14日

    今週の福音

    第1朗読 イザヤ書 35章1~6a、10節
    第2朗読 ヤコブの手紙 5章7~10節
    福音朗読 マタイによる福音書 11章2~11節

    待降節第3主日

    待降節(A)第3主日の喜びの主日は、喜びに満ち溢れる期待の時です。朗読では、希望と忍耐、そして、私たちとともに神さまがおられる事にはっきりと気づく事に焦点を当てています。喜びの主日は、私たちが喜びと希望に溢れて待ち続けている事を思い起こさせてくれます。キリストが来られるための準備をする時、私たちは、神さまの約束と神さまがお考えの完璧な時を信じています。 

    今日の典礼は、私たちがキリストが来られるための準備をするという喜びに溢れる期待の時を強調しています。私たちのキリスト者としての現在の生活の中で、単にベトレヘムでのキリストのご降誕のお祝いに値する、喜びに溢れる期待の心を持つという事を示しています。私たちは、キリストのご降誕を通して、個々の家族、すべてのキリスト者たち、そして、すべての人びとと共に、神さまの愛をお祝いすべきだと思っています。待降節は、主が来られる(キリストのご降誕と再臨)事を迎えるにふさわしい準備として、すべてのあらゆる人々が悔い改めの心を持ち続けるための時ですが、今日は、まもなく訪れるお祝いの事を思い起こしながら、ゆったりとした憩いの時を過ごしましょう。そうです。今日という日は、私たちが「待つ」という事は、喜びに満ち溢れているという事を思い起こさせてくれる日なのです。「待ち続ける事で喜びは広がる」といったシンプルな言葉/理解は、いろいろな意味を持ちますが、少なくとも今日の黙想のポイントとなります。 

    今日の第1朗読では、待降節の初めから黙想し続けてきた希望について書かれています。私たちは、キリスト者としての信仰の光のうちに喜び、強くあり続けるよう招かれています。一般的に砂漠は不毛だと言われていますが、たくさんの花が咲く季節が訪れるのと同じように。このことは、弱い人々を強め、すべての人々に正義をもたらされる神さまがいて下さる事を、私たちに思い出させてくれます。見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そして、「口の利けなかった人が喜び歌う」のです。今日の福音朗読は、特に希望と平和と喜びを宣べ伝える勇気ある人びとへの励ましとなっています。洗礼者ヨハネの言葉は現実となり、イエス様のまわりの人びとによって証しされました。 

    {イエス様が、洗礼者ヨハネが人々に語っていた方であるという事が証明されています。私たちには、目の見えない人の目を開き、足の不自由な人を歩かせ、思い皮膚病を患っている人を清くされ、耳の聞こえない人は聞こえ、死者を生き返らせたイエス様がおられます。私たちには、貧しい人に福音を告げ知らせるようにとお考えのイエス様がおられます。} 

    喜びの主日の黙想を深める事で、私たちは、第2朗読に書かれている言葉を価値あるものとして深く考え、私たち自身をこの招きにお捧げするようになるでしょう。

    主が来られる時まで忍耐しなさい。農夫が実りを待つように。
    心を固く保ちなさい。不平を言わず、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • カトリック中原教会からのお知らせ(2025/12/07)

    12/14(日)待降節黙想会

    第一部門(典礼)

    今年の待降節黙想会は、12/14(日)10:00-14:45
    フランシスコ会阿部慶太神父様です。聖書をご持参下さい。
     10:00~10:30 講話
     10:30~11:00 黙想
     11:00~12:00 ミサ
     12:00~12:45 昼食
     12ː45~13ː15 講話
     13ː15~13ː45 黙想
     13ː45~14ː45 茶話会
    ※「赦しの秘跡」は黙想の時間に受けることができます。

    12/24(水)・12/25(木)クリスマスミサ

    第一部門(典礼)

    以下の時間帯でミサを行います。鹿島田教会のミサ時間も掲載します。中原での参加が難しければ鹿島田教会もご検討下さい。

    12/24(水) 17:00 主の降誕夜半のミサ(クリスマス・イブ)
          ※鹿島田教会 19:00
    12/25(木) 11:00 主の降誕日中のミサ(クリスマス)
          ※鹿島田教会 14:00
    12/25 ミサ後、第一信徒会館1Fホールにてティーパーティを行います。主のご降誕を皆でお祝いしましょう。ぜひ、ご参加ください。

    「聖書を読む会」

    第二部門(教育支援)

    毎週日曜日10:10〜10:40まで第2信徒会館図書室で「聖書を読む会」を行っております。どなたでもご参加頂けます。現在旧約聖書を朗読中ですが聖書をお持ちにならなくても教会にある聖書を借りることができます。皆さまのご参加をお待ちしております。

    12/7(日)クリスマスコンサート

    Christian Community Music Union

    ミサ後13時より聖堂にてクリスマスコンサートを行います。入場無料(寄付は貴重なオルガンの維持のためできましたらご寄付をお願いいたします)。

    12/28(日)浮島処理センター見学報告会

    第三部門(福祉活動)

    12/28(日)ミサ後に、第一信徒会館でお茶を飲みながら、浮島処理センター見学の報告会を予定しています。私たちの住む家である地球を守るため、みなさんにも理解していただきたい内容です。多くの方に聞いていただけるとうれしいです。

    バザー実行委員募集

    第三部門(福祉活動)

    2026/2/8(日)にバザーの開催を予定しており、実行委員を募集しています。みんなと楽しみながら作り上げてみたい方、教会のお仕事に参加して交流したい方、ぜひ教会委員にお声がけください。お一人にすべてお任せするということではなく、教会委員会始め信徒みんなで作り上げるバザーのとりまとめをお願いしたいです。

    食品ロスの削減

    第三部門(福祉活動)

    年末が近くなってきました。家の大掃除の前に、食料品の棚卸をしてみませんか。日本では毎日一人当たり茶碗一杯分の食品ロスが発生しているそうです。賞味期限が過ぎてしまったけれどまた食べられそうなものを工夫して調理する、賞味期限が近いけれど使う予定がないものは教会に持ってきて利用できる方に持ち帰っていただくなど。
    (利用予定のない缶詰は中原パトロールの会で利用させていただきます)

    中原パトロールの会からのお願い

    第三部門(福祉活動)

    寒い季節になりましたので、毛布・使い捨てカイロの寄付を募集しています。特に毛布はリクエストを受けていますが、在庫がなく配付できていない状態です。ご自身のご家庭のみでなく回りの方への声がけもお願いします。

    12/21(日)ミサ後聖堂ワックスがけ

    施設管理部

    毎月第3日曜日のミサ後、お掃除当番に入っていない方を対象に聖堂や第一信徒会館のお掃除をしています。今回はクリスマス前の聖堂ワックスがけを予定しています。

    2026/1/4(日)クリスマス装飾片付け

    教会役員

    2026/1/4のミサ後にクリスマス装飾の後片付けを行います。ご協力・お手伝いのほどよろしくお願いします。

  • 今週の聖書朗読 2025年12月7日

    今週の福音

    第1朗読 イザヤ書 11章1~10節
    第2朗読 ローマの信徒への手紙 15章4~9節
    福音朗読 マタイによる福音書 3章1~12節

    待降節第2主日

    待降節(A年)第2主日は、正しい方法で準備をするための日です。ただ待つだけの日ではありません。心を開き両手を広げて、神さまに立ち返るための日なのです。 

    待降節第1主日の朗読と黙想のポイントは、キリスト者とすべての人びとの未来に焦点を当てていましたが、今日、私たちは、「待つ」ということに関してのテーマが、神さまに立ち返り、より偉大な方が来られるための準備をするという勧めと関係があるということを思い起こします。今日の福音朗読では、悔い改める事を教え、自分よりも優れた方が来られるための道筋をまっすぐにするようにと人びとを導いた預言者である洗礼者ヨハネについて書かれています。自分は、私たちの救い主であり王であるキリストへの道を整えているだけであると、洗礼者ヨハネははっきりと教えています。今日の第1朗読のイザヤの預言では、完全なる王、ダビデ王の父であるエッサイの子らについての力強い一節が書かれています。この一節はイエス様を指しています。正義と調和と平和を完成させるために平和の王が来られる時、古いものは終わりを告げるのです。 

    今日の黙想では、特に悔い改めと回心のメッセージが、平和を強めてくれるのだという事を気づかせてくれる事でしょう。何よりもまず、待降節第2主日では、キリストのうちにある希望と平和の約束が、同様に示されています。飼い葉桶でのイエス様の誕生は、神さまの愛と、すべての人びとへの平和の約束を指し示しているのです。 

    今日の第2朗読は、もっとキリストとひとつになり、我慢強く/忍耐強く生き、お互いを受け入れ合い、私たちの生活の中心にキリストがおられる事をしっかりと示すための勇気を与えてくれます。この待降節が意味のあるものとなるならば、一人ひとりや共同体の両方の生活の中にイエス様が真に来られるという事は、飼い葉桶での誕生からヨゼフの息子として成長されるまで、そして、天の父である神さまの目的に対して、他からの影響に左右されず自信にあふれたガリラヤでの宣教の始まりから多くの試練や拒絶の経験に至るまで、さらに、ご受難と死からご復活に至るまでイエス様のご生涯をたどることになるのです。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2025年11月30日

    今週の福音

    第1朗読 イザヤ書 2章1~5節
    第2朗読 ローマの信徒への手紙 13章11~14a節
    福音朗読 マタイによる福音書 24章37~44節

    待降節第一主日

    待降節第1週目、特に待降節が始まる今日という日(待降節第1主日)に、待降節の間に強調されている神さまの3つの来臨を、私たちは意識しています。1つ目の来臨は、イエス様のご降誕です。イエス様は、ベトレヘムの馬小屋でお生まれになりました。
    2つ目の来臨は、キリスト者とすべての人びとの未来に最も関わっています。今日の朗読では、この未来と、世の終わりの時にイエス様が最終的においでになる事に対する私たちの信仰について焦点が当てられています。3つ目の来臨は、日々の生活においての私たち一人ひとりへのいろいろな呼びかけです。私たちのうちにある神さまの存在を、私たちは意識しています。私たちの日々の生活の中に神さまがおいでになるという事は、いつも神さまと絶え間なくつながり/交わる事で可能になります。私たちの教会生活を踏まえた上で、数々の秘跡のお祝いを通して、神さまは私たちの生活の中においでになるのです。 

    今日は、待降節の最初の主日です。しばしば、この4週間の待降節に入るにあたって、私たちの心に思い浮かぶのは、神さまのみことばが肉となる事と、ベトレヘムの馬小屋の飼い葉桶でお生まれになったイエス様の事です。待降節の初めの2週間は、すぐにはイエス様のご降誕についてのテーマは提示されていません。そのかわりに、私たちは、終わりの時に最終的にイエス様がおいでになる事について黙想するようにと招かれています。すぐにキリスト者とすべての人々の未来についてのとても具体的なテーマに入るという事は、イエス様が最初においでになった事が、私たちの待降節の黙想において重要ではないという意味ではありません。どんな形でイエス様がおいでになっても、私たちは用意しているようにと招かれています。私たち一人ひとりが、どのようにして、そして、いつこの世を去るのかについて深く考えるのは、とても面倒な事に思えるかもしれません。けれども、それは、私たちの人生にある未来の事実のひとつであり、絶対的に確かなものです。3つ目の神さまの来臨は、実り多き待降節の黙想のための大切な要素となります。私たちの日々の回心は、イエス様の最終的な再臨を迎えるために必要なのです。来週の朗読で、この3つ目の来臨が更に強調される事は、注目に値します。同様に、イエス様が初めておいでになった事(ベトレヘムの馬小屋の飼い葉桶でイエス様がお生まれになった事)についてのテーマは、必ずやイエス様の最終的な再臨のための用意をする上で助けとなる事でしょう。 

    確かに待降節第1主日では、焦らずゆっくりにと言われていますが、それと同時に、私たちの地上での終わりの時に訪れるもののために、私たちはしっかりと用意するのです。私たちは、今日の福音朗読の言葉で、この招きを受けます。イエス様は、ノアの時と同じように、イエス様の(最終的な)再臨は突然である事を警告されています。人々は思いがけない時に連れて行かれるので、いつも目を覚まして用意しなさいと。 

    今日の第2朗読では、用意することについて、何をどのように用意するのかについて、更に書かれています。私たちは、毎日のライフスタイルについて、もっと意識を持つようにと招かれています。確かに、私たちの人生には、思い、言葉、おこないによって、闇の領域があります。私たちは、「闇を脱ぎ捨てて、代わりにイエスさまの光を身にまといましょう」 

    闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身につけましょう。
    日中を歩むように、品位を持って歩もうではありませんか。
    酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、
    主イエス・キリストを身にまといなさい。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2025年11月23日

    今週の福音

    第1朗読 サムエル記下 5章1~3節
    第2朗読 コロサイの信徒への手紙 1章12~20節
    福音朗読 ルカによる福音書 23章35~43節

    王であるキリスト

    今日は、典礼暦(C)の最後の主日です。私たちは、王であるキリストの祭日をお祝いします。私たちの内におられるイエス様が救い主であり王である事を、心を尽くして認め受け入れるようにと、私たちは招かれ、導かれています。わたし達は個々に、そして共同体として、これまでの典礼暦で、意識的にあるいは無意識のうちに、何らかの良いおこないや良くないおこないをしてきました。

     私たち一人ひとり、あるいは共同体として、この1年間を通してどのように過ごしてきたのか、一人ひとり、あるいは共同体に対して評価する事が、今日の私たちの黙想と考えられるでしょう。私たちは、自分たちの悪い習慣やおこない(私たちの罪)を勇気を持って終わらせるようにと招かれています。たとえ福音の真価に反することであっても、私たちが慣れ親しんできた事を終わらせる事には痛みが伴います。けれども、より良くなるために何かを終わらせる事への恐れが、良い実り、おそらく最高の実りをよりもたらすという神さまの約束を、私たちは信じています。黙想を終えた時、私たちの人生において、私たちには救い主であり王であるイエス様のみがおられ、他には王はいないという事を、今日、言葉と魂によって心から公言することができるための聖霊の働きと導きを受け入れる事ができますように。 

    今日、私たちは、毎日の生活において、イエス様の指導者としてのお導きを見分けるようにと招かれています。イエス様の生き方、働き方、教え方、癒し方、人びとの解放のされ方から、私たちは、イエス様の最も重要なメッセージが、神さまの王国の建設であるという事を理解することができます。イエス様は、私たちへの愛のうちに、最終的にご自分の命を捧げてくださいました。 

    御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。
    天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。

     私たちは、イエス様がすべての創造物の頭である事を思い起こします。イエス様は、羊飼いが自分の羊たちを世話するように、私たちを世話されるためにお選びになります。また、私たちは、イエス様が教えて下さった新しい社会/社会の類、私たちが生きるべき社会、つまり、その社会の王権が、世界の権力や富ではなく、愛、慈愛、いつくしみ、奉仕、そして平和のためのものであると理解している社会を忘れません。神さまの王国とイエス様の王権は、散漫なものでもなく、一時的なものでもないという事を私たちは忘れません。私たちは、永遠の王国の一員となるよう招かれているのです。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー