投稿者: 管理者

  • 今週の聖書朗読 2025年11月16日

    今週の福音

    第1朗読 マラキ書 3章19~20a節
    第2朗読 テサロニケの信徒への手紙二 3章7~12節
    福音朗読 ルカによる福音書 21章5~19節

    年間第33主日

    私たちは、この世において何が善であり、何が悪であるかという事に関して、共通の理解をしています。良い人びととは、一般的に善として理解されている事を行う人びとです。

    悪い人びととは、一般的に悪として理解されている事を犯す人びとです。善を行うという事は、すべての人びとに対して良いもの、平和、そして本当の幸せをもたらします。悪を行うという事は、人びとに悪いもの、不安、そして重圧をもたらします。実際、善と悪についての共通の理解を持って、人びとは何を望み、何を選び、何を行うのかによって、善人あるいは悪人となります。私たちの社会での善と悪の共通の理解と、私たちの信仰(キリスト者としての信仰)を前提として私たちが持っているものをもとに、今日の黙想を始めましょう。

    信仰(キリスト者としての信仰)のうちに、神さまであり、私たちの創造主である偉大なる善(唯一の善)が私たちにはあります。神さまは私たちをご自分の似姿としてお造りになり、神さまがお造りになったすべてのものは良いものです。すべての良いものは、神さまから来るものであり、すべての良い人びとと良いものは、神さまの元に戻ります。この特有のキリスト者としての信仰をもとに、私たちは、今日の黙想をより具体的なものとしようとしています。今日の第1朗読のマラキの預言では、炉のように燃える日が傲慢な者や悪を行う者を燃やし尽くし、神さまを畏れ敬う人びとは義と癒しを得るであろうと言われた神さまの事を、私たちに思い起こさせてくれます。

    今日の朗読は、終わりの日への警告を明示しています。典礼暦に沿って、典礼暦C年の終わりに近づいています。来週の日曜日に、私たちは王であるキリストの祭日をお祝いします。福音朗読の中で、イエス様は、神殿の破壊について、また、イエス様に従う人びとへの迫害の試練について語っておられます。これらの試練には、戦争や自然災害も含まれています。けれども、このメッセージは、神さまからいただいた忍耐の恵みと同様に、私たちの心を、神さまの約束と全知にもっと向けるべきであることを思い起こさせてくれます。 私たちは、忍耐強く善を行い、神さまの内にある救いの福音 (いつくしみ、赦し、毎日の回心)と愛(寛容一寛大)を忍耐強く宣べ伝えるようにと導かれています。

    今日の第2朗読では、考えるべきもっと具体的な事柄について書かれています。確かに、隣人への愛は、福音全体の掟と言えます。寛容であり寛大であるという事は、具体的に言うと、困っている人々にいろいろな物を差し出す事で、隣人を助ける事になり、それは善い行いなのです。寛大になり、心を配り、隣人のことを思いやる方法は、他にもたくさんあります。私たちが、寛大になればなるほど、心を配れば配るほど、隣人のことを思いやれば思いやるほど、私たちは、より正しい人となるのです。正しい人になるという事は、 自分自身、また隣人たちへの大きな愛の表現 (どのように愛し、日々をどのように愛に生きるのか)でもあります。パウロは、テサロニケの教会への手紙で、彼らが得た良い特性のひとつ(おそらくパウロと彼の仲間の指導者たちの働きに対する取り組み方への良い指導)をはっきりと記しています。そして、これは他の人びとも見習うべき事です。これの根拠となっているもの(前提/基本的な考え)は、生きるために「働く」という事です。 私たちは、他の人びとの生き残る/生きるための懸命な働きを奪う事はありません。私たちが生きるために働く時、それは愛であり、寛大さであり、正義なのです。私たちは、意情や怠慢にならないようにと助言されています。怠情は悪魔の仕事場であるということわざがあります。ですから、働くことと良い仕事の尊厳を守り、毎日を隣人たちへのたゆまぬ良いおこないに費やし、公正かつ正直であり、ほんとうの寛大さと思いやりを持ちましょう。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 2025年11月カトリック中原教会からのお知らせ

    「聖書を読む会」

    第二部門(教育支援)

    毎週日曜日10:10〜10:40まで第2信徒会館図書室で「聖書を読む会」を行っております。どなたでもご参加頂けます。現在旧約聖書を朗読中ですが聖書をお持ちにならなくても教会にある聖書を借りることができます。皆さまのご参加をお待ちしております。

    11/16(日)ミサ後「聖歌の集い」

    第一部門(典礼)

    中原教会聖歌隊をはじめ、有志団体による聖歌の発表会です。今回は教会学校の子どもたちも参加いたします。ミサ後すぐ〜15分程度。観覧無料。

    11/16(日)ミサ後「掃除の日」

    施設管理部

    毎月第3日曜日のミサ後、お掃除当番に入っていない方を対象に聖堂や第一信徒会館のお掃除をします。ダルクの皆さまも一緒に参加します。(今回は『聖歌の集い』終了後の12:15頃開始予定です)

    ザビエル祭

    一粒会

    11/24(月・祝)9:00~15:00 於:日本カトリック神学院
    テーマ:「希望に満ちあふれて」(ロマ15・13)

    11/5(水)浮島ゴミ処理センター見学

    第三部門

    貝塚教会婦人会で見学に行きます。8:30川崎駅集合。私たちが住む家である地球を守るため、川崎市の掲げるプラスティック100%リサイクルを目で見て確認し、市民として協力しましょう。

    11/9(日)消防訓練

    防火管理委員会

    11/9(日)ミサ後、消防訓練を行います。昨年は多数の方にご参加いただきました。今年もたくさんの方に参加いただけるよう、よろしくお願いします。

    11/16(日)福島やさい畑の販売

    第三部門

    田園調布教会に来る福島やさい畑から当日の朝にまとめ買いした野菜・果物の販売をします。ご協力お願いいたします。

    11/29(土)クリスマス飾り付け

    教会役員

    今年は、11/29(土)にクリスマスの飾り付けを行います。皆さんで協力してクリスマスの雰囲気を作りましょう!ぜひ、信徒の皆様、ご参加下さい。10時からを予定しています。

    12/7(日)クリスマスコンサート

    ミサ後13時より聖堂にてクリスマスコンサートを行います。入場無料(寄付は貴重なオルガンの維持のためできましたらご寄付をお願いいたします)。詳細は下記よりポスターをダウンロードしてください。

    12/14(日)待降節黙想会

    第一部門

    今年の待降節黙想会は、12/14(日)10:00-14:30 フランシスコ会阿部慶太神父様を予定しております。詳細が決まりましたら、お知らせいたします。

  • 今週の聖書朗読 2025年11月9日

    今週の福音

    第1朗読 エゼキエル書 47章1~2、8~9、12節
    第2朗読 コリントの信徒への手紙一 3章9c~11、16~17節
    福音朗読 ヨハネによる福音書 2章13~22節

    ラテラン教会の献堂

    今日、私たちは毎年行われている歴史的なラテラノ教会献堂記念をお祝いします。もちろん、これは主日に行われ、私たちのカトリック共同体の霊的信心と永遠の信仰を象徴するラテラノ教会の重要さを強調しています。これは、単なる「この世のもの」と思われるかもしれませんが、私たちは、深い歴史的背景と建築上および芸術上の意義をも考慮しています。

    毎年の歴史的なラテラノ教会献堂のお祝いを受けて、今日のことばの典礼では、当時も今も私たちの教会生活に関しての多くの重要な事が含まれています。私たちカトリック教徒は、祈りや聖なる集まりで使うもの、また聖なる場所も含め、例えこれらが一時的なものであっても敬意を表します。これらを得るために多くのお金を費やす人びとや共同体すらあります。私たちは、聖水による祝福や、司祭あるいは司教の按手を願います。私たちの多くは、私たちが祈りのために特定のものを使えば使うほど、祈りや信心やミサのために集まれば集まるほど、その場所や教会が聖なるものになるとさえ信じています。さらに、そのような聖なる場所や教会には、確実に恵みが溢れていると信じています。聖なる場所は、 もっと祈りを助け、霊的な癒しとひらめきの源となり、神さまとのつながりへの理解/認識を深めるのに最適な場所となるのです。第1朗読のエゼキエルの預言では、神殿から流れ出るもの、つまり 「神殿から流れる水は地と海にいのちをもたらし、食べ物と癒しえ、木々やその他の生き物を生き返らせる」と書かれています。神殿は、創造主である神さま… 新約聖書での私たちの主イエス・キリストと言えるでしょう。イエス様が神殿を清められる際に、ご自身の事を語られている事がわかるでしょう。初めに、神殿(イエス様の周りにいた人々が理解している建物)が、単に人びとによって商売の家のように不敬な場所とされてしまっていると語られています。その後、文字通り神殿は商売の家ではなく、神の家、神の御からだであると語られています。

    ですから、聖パウロはコリントの教会への手紙で、神さまの霊が自分たちの内に住んでおられ、私たちを神さまの神殿、あるいは神さまの建物としてお造りになったと記しています。神さまの建物の土台を据えられたのは、私たち一人ひとりの心の中におられる方イエス・キリストです。私たち一人ひとりがしっかりと覚えておくべき事は、神さまの神殿を聖なるものとして保つ事です。パウロは、こう語っています。

    あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることをしらないのですか。

    こうして、私たちは今、イエス様が、わたしの父の家を商売の家としてはならないと言われた時の正しい意味を理解できるのです。

    今日のラテラノ教会献堂の祝日に際して、私たちが、教会の建物の内側や外側に関して、目で見えるものとしてのみならず、目では見えないものや目ではめったに見る事ができないものとして焦点を当てる事ができますように。私たち皆で、何よりもまず、私たちのこころの神聖さとこころの願いを保つうえで、時間とその他の労力などを賢く使っていきましょう。

    聖なる神殿は、いつも神さまに守られています。パウロは、こうも言っています。 神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。 神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2025年11月2日

    今週の福音

    第1朗読 知恵の書 3章1~6、9節
    第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章31b~35、37~39節
    福音朗読 ヨハネによる福音書 6章37~40節

    死者の日

    万霊節は、「死者の日」としても知られています。私たちは、亡くなった兄弟姉妹たちを偲び、祈ります。カトリック教会は、煉獄で天国へ行くための準備をし、天国への道を進んでいくという事を信じて、すべての霊のために特別に祈ります。今日は、11月2日で死者の日です。今日の特別なことばの典礼から黙想を始めましょう。今日の第1朗読では、「神に従う人の魂は神の手で守られ、もはやいかなる責め苦も受ける事はない」とはっきり書かれています。この点において、神さまが私たちのお父さんであり、私たちは神さまのこどもであるという基本的な理解から、私たちは黙想を始める事ができます。私たちは神さまのためにあり、そして、皆が神の民なのです。言わば私たちは皆が神さまのもの故に、神さまは、私たちやすべての被造物をお救いになります。これが私たちの信仰であり、希望なのです。けれども、11月1日は諸聖人の祝日です。彼らは、かつて地上で、とても人間的な経験をして生きてきました。そのうちの何人かは人生の半分、もしくはそれ以上の間、私たちと同じように罪を犯してきたかもしれませんが、しかし、彼らは自分たちの弱さを認め、悔い改め、奉仕生活を送り、神さまに従いました。また、何人かは、純粋に信心深く、日々を心の回心のために捧げました。

    第2朗読では、神さまと私たち神の民、また、神さまと地上では聖人のように生きる事がなかったかもしれない亡くなった人々とのつながりについて詳しく書かれています。私たちは、そんな彼らが神さまの永遠の愛といつくしみのうちに、天の父の家へと戻ることができると信じ続けています。私たちは、ただ祈るべきでしょう。ローマの教会への手紙の中でパウロは、「死も、いのちも、...他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」と書いています。

    すべての魂の安息を求める生者である私たちの祈りは、今日のミサに与る私たちのメインとなる目的です。今日の祈りの集まりで、私たちは一般的な嘆願の祈りを捧げますが、ひとの子(私たちの主、救い主イエス・キリスト)でさえも、仕えられるためではなく仕えるため、また、多くの人々の贖いとしてご自身のいのちを捧げるために来られた(マルコ10.45)事に対して、私たちは心からの感謝を捧げます。私たちは今日に至るまで、この良い知らせを守ってきています。今日の福音朗読では、天の父のみこころについて、同じような表現で書かれています。かつてイエス様は、御子を見て信じるすべての人は永遠のいのちを与えられ、そして、終わりの日に神さまはその人たちを復活させられるとおっしゃいました。今日、私たちはここに集まり、亡くなった愛する人たちのために祈るという文化と伝統を守りながら、私たちの亡くなった兄弟姉妹たちのための記念日が、生きている私たちの終わりの時でもある事に気付くことができますように。また、私たち一人ひとりが、確実に神さまの救いのご計画の成就のために欠くことのできない回心をするできるようにと、私たちは祈ります。全ての人に対して忍耐強く、心を砕いて下さる神さまがおられる故に、私たちも自分自身や隣人たちに対して忍耐強くあるべきでしょう。私たちには欠点があり、失敗し、間違いを犯します。私たちは、いつも自分たちの弱さを乗り越え、私たち自身や隣人たちやその他のすべての被造物のための、すべての創り主である神さまの素晴らしいご意向を知る事ができるようにと願っています。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2025年10月26日

    今週の福音

    第1朗読 シラ書 35章15b~17節、20~22a
    第2朗読 テモテへの手紙二 4章6~8、16~18節
    福音朗読 ルカによる福音書 18章9~14節

    年間第30主日

    私たちは、今日の朗読から本当の謙虚さの持つ意味を理解しようとしています。本当の謙虚さは、私たちの祈りに応えられ、正義を全うされる事を、公正かつ公平(偏見のない)な神さまが、いかにして約束して下さったのかという事の理解へとつながっています。 

    今日の福音朗読の中でイエス様は、私たちのうぬぼれに対する偽りのない謙虚さを教えて下さっています。私たちが黙想するにあたって、神さまのいつくしみと愛のうちに、(みことばへの忠実さという実りに力を与え、確信させてくださる神さまがおられるので)うぬぼれと自信との違いを見分ける事ができますように。私たちは、ファリサイ派の人々と悔い改めた徴税人を比較したたとえ話を知っています。ファリサイ派の人々の性格は、自分たちのうぬぼれを良しとしている人々の性格を表しています。さらに、自分たち自身と彼らのうぬぼれを高めるためだけに、他の人々を見下す事さえ、彼らはやってのけました。これが、自分たちのために神さまから恩恵を受けるための彼らの祈り方でした。けれども、「本当の謙虚さ」を持つ徴税人は、自分の胸を打ち、神さまが、罪びとである彼に対していつくしみをお与えくださるようにと祈りました。重要なのは、神さまの愛といつくしみのうちにある自信から来る「本当の謙虚さ」で、神さまは、決して偏見がなく、特に抑圧された人々や謙虚な人々の嘆きを聞いて下さる事です。第二朗読の使徒パウロによって書き溜められた書簡にあるテモテへの手紙で、パウロは、神さまのみことばを広める力をお与えになった神さまに感謝しています。パウロは、神さまがそばに居て下さり、強さをお与えになった事をはっきりと理解し、そして、信仰深くあり続けました。信仰深くあり続ける人は、天の国に救い入れられるという事を、彼は確信していたのです。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2025年10月19日

    今週の福音

    第1朗読 出エジプト記 17章8~13節
    第2朗読 テモテへの手紙二 3章14~4章2節
    福音朗読 ルカによる福音書 18章1~8節

    年間第29主日

    今日の朗読では、単に祈るのではなく、忍耐強く絶えず祈るようにと書かれています。ここでの絶えず祈るという事は、私たちが神さまとほんとうにつながっているという毎日の具体的なおこないの表れであると理解できるでしょう。確かに、祈りには多くの様々なかたちがあります。私たちは、日々の生活の中での神さまの恵みと絶え間ない助けを認め、故に、何よりもまず賛美と感謝のうちに、神さまに立ち戻ります。私たちは、それぞれが沈黙のうちに祈ります。私たちは、隣人とともに祈ります。私たちは、主日の典礼などの教会の礼拝に与ります。私たちは、自分たちの人生の中で、これらのことを一度や二度のみ行うものではありません。私たちは、祈るということを人生のありかた(生きかた)とするようにと求められています。忍耐、根気/粘り強さ、そして、絶え間ない祈りをもって、私たちの様々な戦いや挑戦の中で、神さまは私たちとともにいてくださるという事を知るのです。基本的にさまざまな姿で現れる恐怖や不安や悩み、あるいは、単に利己的で自己中心的なものからくる多くの心配事のために、私たちの日々の生活の中で、時折、私たちは、このつながりを忘れ、絶え間なくつながっていなくてはならない事も忘れてしまいがちです。 

    私たちは、イエス様について書かれている聖書(聖霊によって書かれ、啓発となる神さまのみことば)に忠実であるようにと招かれています。聖書は、私たちに知恵を与え、勇気と忍耐を持って、この世でどのように生きていくのかを訓練し教えてくれます。聖書は、かつてこの地上に来られ、強さと弱さの両方を併せ持つ人類の特質をお持ちになった私たちの主であるイエス様と、私たちはどのようにすれば完全にひとつになれるのかという事を教えてくれます。私たちは、イエス様のように勇気と忍耐を持って、神さまのみことばを宣べ伝えるようにと招かれているのです。 

    神さまが私たちのためにいかに誠実でいてくださっているのか、私たちの気づきを深めていく事ができますように。私たちの身の回りで起きているすべての事の中に、神さまの知恵を見出し続ける事ができますように。けれども、神さまのお恵みによって、好ましくないと思われる現代の状況(戦争、誤解、憎悪、無関心など)に対して、私たちが直接的あるいは間接的に確かに関わってしまっている事に気付かされたなら、私たちは、根本的に心をあらため、いつも神さまとまさにつながることが出来るのです。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2025年10月12日

    今週の福音

    第1朗読 列王記下 5章14~17節
    第2朗読 テモテへの手紙二 2章8~13節
    福音朗読 ルカによる福音書 17章11~19節

    年間第28主日

    今日、私たちは、私たちのいのちへの神さまの限りのない癒しの力について黙想しましょう。はかない私たち人類の肉体のみならず、私たちのすべてのあらゆるいのちを癒し、清めて下さる神聖なる癒し主である神さまを、私たちは信頼し信仰します。また、今日は、私たちが、神さまの癒しの力にどのようにお応えするのかについても黙想するようにと招かれています。

     第1朗読では、エリシャの言葉通りに従った後、重い皮膚病を癒されたナアマンが、エリシャへの贈り物を捧げようとして、どのように感謝する事を求められたのかが描かれています。確かに、思い皮膚病を癒されたナアマンは、イスラエルの神を心の底から認め、主以外の他の神々をあがめる事はしないとして、より深い回心をしたという事に、私たちは、最終的に気付くでしょう。私たちも、心の癒しと回心という彼と同様の経験をするべきでしょう。

     今日の福音朗読も同様に、癒されるという事は、より深い信仰/回心の心(神さまに立ち返る)を私たちに持たらし、故に、神さまとのより深い繋がりを生むべきものであるという事を、強く語っています。イエス様は、清められた人々を探されましたが、10人の内9人は戻らず、たったの1人のみ、神さまに感謝するために戻って来ました。 

    私たちは癒された後、立ち戻って感謝するという事に気付いて、隣人たちにもイエス様の癒しの力を広めていくことができますように。何よりも、私たちは皆、人間関係を破壊し、隣人たちやその他の私たちの周りにある神さまの被造物に対する私たちの理解を誤らせる、有毒でふさわしくない(不適切な)世の中の在り方から清められ、癒され、完全になるようにと求められているのです。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2025年10月5日

    今週の福音

    第1朗読 ハバクク書 1章2~3、2章2~4節
    第2朗読 テモテへの手紙二 1章6~8、13~14節
    福音朗読 ルカによる福音書 17章5~10節

    年間第27主日

    今日の私たちの黙想は、神さまへの私たちの信仰をもっと深めるために必要な事柄をもう一度よく考える(再考する)事が中心となっています。私たちが今日まで少しの信仰で生きてきたであろう事は、今日の朗読が、私たちの現在の人生経験の流れから決してそれていない事の理由です。私たちが、現在どのような状況の中で生きていても、目には見えない神さまといつもつながっているようにと招かれています。

     今日の第1朗読では、たとえ古くから現在に至るまでの全ての世代ではなくても、多くの、そして主な共通している実際の人類の経験を認める一方で、私たちにとっての良いものはすべて与えられるという事の確信について語られています。私は、いつも神さまの聖霊につながり続け、私たちがこの世の不完全さや弱さに対して切望している事のすべてが成し遂げられるまで、忍耐と希望を持ち続ける事で、私たちの信仰をもっと深める事ができると、確信しています。

     今日の福音朗読の中でイエス様は、ほんの少しの信仰(1粒のからし種ほどの信仰)でさえも、偉大で奇跡的な、かつ神秘的な(人類の理解を超えた)ものとなり得ると教えておられます。信仰を深める/育てるという事は、神さまが決して私たちを失望させないという、より深くより強い信頼と自信を持つ事を意味しています。信仰を深める事で、私たちが、人類とすべての被造物への神さまのご意向を果たすため道具となるにふさわしい者となれる事に対しても、私たちは神さまを賛美し感謝するのです。

     信仰は賜物です。
    パウロはテモテへの手紙で、共同体の仲間たちや若い指導者に霊的指導をしています。この霊的指導は、現在の私たち一人ひとりにも当てはまる事であると、私は確信しています。私たちが神さまからいただいた賜物を燃え立たせ、信仰の賜物を守り続けるようにと薦められています。私たちは、信仰のうちに、もっと強くなりましょう。「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。」聖霊の導きによる静けさと忍耐によって、すべての事は可能なのです。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 2025年10月カトリック中原教会からのお知らせ

    「聖書を読む会」

    第二部門(教育支援)

    毎週日曜日10:10〜10:40まで第2信徒会館図書室で「聖書を読む会」を行っております。どなたでもご参加頂けます。現在旧約聖書を朗読中ですが聖書をお持ちにならなくても教会にある聖書を借りることができます。皆さまのご参加をお待ちしております。

    10/19(日)世界宣教の日・献金

    教会役員

    世界にはまだキリストを知らない人がたくさんいます。日本でもわたしたちはキリストを知らない人たちに囲まれて生きています。キリストを伝えることである宣教は、神の子ども、キリストの弟子となったわたしたち皆に与えられている使命です。
    「世界宣教の日」は、すべての人に宣教の心を呼び起こさせること、世界の福音化のために、霊的物的援助をはじめ宣教者たちの交流を各国の教会間で推進することを目的としています。この日の献金は、各国からローマ教皇庁に集められ、世界中の宣教地に援助金として送られます。日本の教会は、いまだに海外から多くの援助を受けていますが、経済的に恵まれない国々の宣教活動をさらに支援できるように成長していきたいものです。
    (出典:カトリック中央協議会ホームページ)

    10/19(日)ミサ後「掃除の日」

    施設管理部

    毎月第3日曜日のミサ後、お掃除当番に入っていない方を対象に聖堂や第一信徒会館のお掃除をします。ダルクの皆さまも一緒に参加します。

    ザビエル祭

    教会委員

    11/24(月・祝)9:00~15:00 於:日本カトリック神学院
    テーマ:「希望に満ちあふれて」(ロマ15・13)

    11/2(日)死者の日

    教会委員

    追悼名簿を奉納しますので、名前の掲載をご希望の方は10/26(日)までに葬祭係にお申し出ください。

  • 今週の聖書朗読 2025年9月28日

    今週の福音

    第1朗読 アモス書 6章1a、4~7節
    第2朗読 テモテへの手紙一 6章11~16節
    福音朗読 ルカによる福音書 16章19~31節

    年間第26主日

    今日の朗読のすべてを黙想するにあたって、神さまのみことば(毎週あるいは毎日の聖書朗読)による私たちへの導きに対して、私たちは心からもっと感謝すべきでしょう。そうです。親愛なる兄弟姉妹のみなさん、私たち一人ひとりの社会的な貧富、それぞれの生まれ育った家族/家庭を含む個人的な歴史、そして、現在の環境に関わらず、神さまのみことばは、私たちがより良いキリスト者、より良い神の人となるための栄養(いわば常用薬)なのです。 

    では、今日の第1朗読からの最初の黙想のポイントについて考えてみましょう。贅沢な生き方、つまり、どうやって手に入れるのかに関わらず、お金を含む物質的なものに多大な費用をかけるような生き方を控えるようにと、私たちは薦められています。たぶん極端かもしれませんが、とにかく他者を傷つけることなく、一人ひとりの努力や汗をかく事もなく快適に生きる事は、特に悪い事ではないという人がいるかもしれません。この問題に関して私たちが思っている多くの事柄において、第1朗読では、特に、私たちがこの世の富をどう扱うのか、そして、貧しい人々や無力な人々、疎外されている人々の現在の状況に対しての、贅沢に生活している多くの人々の無関心さについて、もう一度よく見直して考えるようにと招いています。キリスト者としての生き方は、慎重でもっと思いやりのある生き方なのです。キリスト者としての生き方は感謝と祭事の生活ですが、それが、極端で贅沢なものとなりませんように。

     今日の第2朗読では、神の人である事の特徴は何であるのかについて深く語っています。神の人は、正義、信心、忍耐、柔和を追い求める人です。これらのすべては、私たちのキリスト者としての信仰が基となっていて、それ故に、私たち自身や価値観や考え方や日々の生活と、貧しい人々を愛しておられるキリストとを重ね合わせるのは、基本的で自然な事です。

     金持ちの贅沢な生活と貧しい人ラザロの生活を比べているたとえ話があります。
    キリスト者の生活は、ラザロの生活と重ね合わせられます。私たちは、貧しい兄弟姉妹たちと自分たちの生活を重ね合わせ、質素な生活を送るようにと薦められているのです。
    一方で、物語の続きには、贅沢で(とても快適な)他者に無関心な人生を送った金持ちが結果として、嘆願をするという事も描かれています。その金持ちは、自分の5人の兄弟たちが、自分と同じような生き方をして苦しむ事のないように、父親の家に住む兄弟たちに警告を送ってほしいと願います。そして、その金持ちの嘆願は受け入れられませんでした。 

    今日の黙想を終えるにあたって、私たちが、今ここで聖霊の導きを受け入れる事ができますように。より良いキリスト者となるための導きは、まだ私たちが知らないものではなく、どこかを探し続けなくてはならないものでもありません。しばらく立ち止まる事を恐れず、どのようにすれば神の人となれるのか、ほんとうに心から耳を傾け、理解しましょう。
    そして、最終的には、本物の神の人として生きるのです。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー