投稿者: 管理者

  • 今週の聖書朗読 2025年7月27日

    今週の福音

    第1朗読 創世記         18章20~32節
    第2朗読 コロサイの信徒への手紙 2章12~14節
    福音朗読 ルカによる福音書    11章1~13節

    年間第17主日

    私たちは、神さまの戒めを実践することによって、キリスト者としての信仰を生き抜くことについて黙想し続けています。私たちは、神さまのうちに生きること、そして、常に神さまの愛は、隣人への愛から成り、また、隣人への愛と同等のものであると教えられてきました。私たちのこころの芯にふれる神さまのみことばは、私たちがもっと思いやりがあり、いつくしみ深いものとなるようにと導いてくれます。イエス様の教えに注意深く耳をかたむけることによって、特別な恵みが与えられます。私たちは、人びとの望んでいる事に対して、自然に、そして、すぐに応えるようにと形作られ続けているのです。私たちが学んできたそれぞれの教えは、私たちがたびたび自分たちひとりひとりのために、そして、個々の目的のために作り出した、日々の使命に対して柔順であるようにとしています。隣人に対して柔軟であれという招きは、確かに本物のキリスト教的信仰(キリスト者としての信仰)への招きです。私たちは、早急な配慮と助けが必要な隣人たちを故意に無視する度に、怠惰の罪(無関心の罪)を犯しています。私たちは、むしろ利己的な手段や予定を選んでしまいます。

    神さまは、私たちの犯したたくさんの怠惰の罪を赦し続けて下さっています。私たちは、自分で口にした言葉を全うするのを怠り続けているにもかかわらず、神さまの恵みのうちに生き続けています。

    今日の朗読は、罪の赦しと、執拗に祈る事への招きについて書かれています。罪の赦しについての教えは、神さまの愛といつくしみに根づいた、神さまからのもうひとつの贈り物です。あなたもわたしも、毎日、秒刻みで罪を犯しています。けれども、私たちがたびたび犯す罪よりももっと大切な神さまの愛といつくしみは、罪のために自分たちが無力で、地獄へ行くという考えを取り除いてくれます。いつも、絶え間ない赦しと免償、そして、いのちを与える恵みがあるのです。

    同時に、罪の赦しの教えと共に、執拗に祈ることへの招きがあります。私たちがミサの中で交し合う「平和のあいさつ」の前に司祭が唱える祈りの中に、素晴らしい祈りがあります。

    「主イエス・キリスト、あなたは使徒に仰せになりました。
    “わたしの平和を残し、わたしの平和をあなたがたに与える”
    主よ、わたしたちの罪ではなく、教会の信仰を顧み
    おことばのとおり教会に平和と一致をお与えください。」

    創世記18章では、アブラハムがソドムを滅びから救うために、どのように執拗に嘆願したのかを、私たちは学ぶ事ができます。アブラハムは、同じ場所に住む小数の罪のない人々のことを、深くこころにかけていました。神さまは、アブラハムの執拗さを感じ取ってくださいました。その場所にほんの少ししか罪のない人々が住んでいなくても、その町全体が滅びから救われたのです。

    今日の福音朗読では、イエス様が弟子たちにどのように祈ればよいのかを教えて下さったことが書かれています。私たちが何世紀にもわたって祈り続けている、ルカによる福音の「主の祈り」の縮約された祈りを、今日の私たちは唱えています。私たちが自分に負い目のある人を赦すように、神さまが私たちの罪をお赦しくださるようにと、私たちは、執拗に祈ります。相手を赦さない心が生じないようにすることを私たちに思い起こさせ続ける、とても美しい主の祈りの一節です。

    イエス様は、執拗に祈ることを強調され、そして、神さまは必ず応えて下さるということを私たちに保証してくださいました。イエス様は、天の父は、望む人に必ず聖霊をお与えになるという事を、はっきりとお示しになったのです。今日の福音朗読の最後では、私たちの常識が求められています。「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして天の父は、求める者にどれほどたくさんの聖霊を与えて下さるでしょうか?」

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2025年7月20日

    今週の福音

    第1朗読 創世記         18章1~10a節
    第2朗読 コロサイの信徒への手紙 1章24~28節
    福音朗読 ルカによる福音書    10章38~42節

    年間第16主日

     私たちは、教会の典礼暦にある2つ目の年間の期間を迎え、毎日の生活の中で、私たちが、どのようにして私たちの信仰を実際に生き抜いていくのかという重要な課題を与えられています。先週は、神さまの戒めが私たちのとても身近にある事、私たちにとって難しいものではない事、そして、すでに私たちの内にあるという事を思い起こしました。私たちが成すべきことは、この戒めに従う事だけであるという事を思い起こしました。まさにサマリア人の旅人のように、いつくしみ深くあって、自分たちの隣人に対してすぐに(特に、その人が最も必要としている時に)手を差し伸べる事で、私たちは、信仰を実際に生き抜く事ができるのです。
     今日の朗読は、献身、もてなし、そして、奉仕について書かれています。わたし達は皆、神さまのみことばに対して、毎日を心からの献身を持って、もっと信仰のうちに実際に生き抜いていきたいと望んでいます。神さまのみことばに対して心から献身するという事は、神さまのみことばを常に、そして注意深く聴く事ができるようにする事です。神さまのみことばが私たちの心のまさに核心に響く時、私たちは隣人をもてなしたい、つまり、隣人に対してもっと心を開き、迎い入れるようになりたいと望みます。私たちは、イエス様のように仕えられるためではなく、仕えるようになりなさいと鼓舞されてきました。確かに、奉仕活動には、目前に迫る/来るべき困難/犠牲が伴います。パウロはコロサイの教会への手紙で、苦しむことを喜びとするという事について語っています。つまり、犠牲に伴う困難や忍耐に立ち向かうという事は、私たちの信仰を強めてくれるという事を教えてくれているのです。ですから、感謝するこころとは、隣人に仕える機会を与えられた人々の心なのです。これらの人々は、隣人に仕える事によって、自分たちの思いが清いものとされ、イエス様にもっと近づけられる事に感謝しています。
     私たちは皆、隣人に仕えるようにと招かれています。イエス様とイエス様の教えが、私たちのもてなしと奉仕の礎となりますように。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2025年7月13日

    今週の福音

    第1朗読 申命記         30章10~14節
    第2朗読 コロサイの信徒への手紙  1章15~20節
    福音朗読 ルカによる福音書    10章25~37節

    年間第15主日

     私たちがミサに与るために教会を訪れるすべての日曜日には、みことばの典礼を祝うためにじっくりと考えるための明確なテーマが、常になくてはなりません。聖書の朗読は、その時に初めて聞くものではありませんが、私たちの日々の生活での経験において、まったく新しいものとなり得ます。例えば、福音の一節は、初めて耳にするものと感じられ、それ故に、私たち一人ひとりにとって、その日のための神さまのみことばとなり、今ここで、私たちへの神さまからの呼びかけが明らかにされます。司祭の説教は、もちろん時間の長さや表現に係らず、いかにして神さまのみことばを、私たちのこころに届かせるのか/響かせるのかという事への助けとなります。
     今日の朗読は引き続き、私たちが信仰のうちに生きる事を行動に移すようにと勇気付けてくれています。第1朗読では、信仰を実際に生きるという事は、心を尽くし魂を尽くして、神さまの戒めと掟に従う事を意味していると、私たちに理解させてくれます。モーセは、人びとに神さまの戒めに従うという事は、遠く及ばぬものではないと語っています。つまり、神さまの戒めに従うという事は、人びとにとって不可能な事ではないのです。神さまの戒めは、もうすでに人々に手渡されて(隠されたものではない)います。私たちは、すでに神さまの戒めを受け取り、私たちの日々の生活の中に、そして、人類の日々の交わりの中に、(私たちの日常生活から離れたものではなく)深く繋げているのです。ですから、神さまの戒めは、知る事も理解する事も難しいものではないという事です。戒めの源である神さまへの私たちの信仰は、もう隠されたものではなく、すでに私たちの内にある戒めに最善を尽くして従おうとする時に、良い生き方ができるようにとしてくれるのです。
     第2朗読では、目に見えない神さまのお姿である、主イエス・キリストについて書かれています。イエス様は、目に見えない神さまの啓示なのです。イエス様は教会の頭であり、十字架の御血によって、万物をご自分と和解させられました。この大いなるメッセージは、回心、罪の赦し、感謝、そして、思いやりと心配りに根づく本当の奉仕を示しています。
     福音朗読にあるサマリア人の旅人についての話(善きサマリア人)は、他者に対して隣人であるという事はどういうことなのかを教えてくれています。この物語は、その人の隣人を愛するという事は、相手が誰であってもいつくしみを示す事だと語っています。ここで、私たちは、自分の隣人を愛するという事が神さまの戒めの中で、とても大切なものである事に気付きます。どのようにしたら永遠の命を受け継ぐことができるのかと尋ねた律法学者に対して、イエス様はお応えになります。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい。」
     追いはぎに襲われた人に対して、何もしなかった祭司やレビ人と比べて、一目見て憐れに思って近づいていったサマリア人の旅人は、追いはぎに襲われた人の隣人となります。「一目見て」という言葉は、私たちの今日の黙想のヒントとなり得る重要な言葉です。どんな事でも「すぐに行動する」という事は、半死の状態で取り残された追いはぎの被害者に対してしなくてはならない事です。サマリア人の旅人は、いつくしみを持って追いはぎの被害者に接したのです。
     それぞれの忙しそうにみえる生活は、自分の隣人が求めている事にすぐに応えるのを妨げるかもしれません。私たちはたびたび、自分もすぐにしなくてはならない事や最優先事項があるからと、自分を正当化します。そのために、たびたび自分たちのそばにいる苦しんでいる人々を見る事をしません。確かに、自分たちの優先事項にはない何か、または誰かを選ぶのは難しい事です。けれども、今日の黙想が、私たち一人ひとりに、自分の周りで何が起きているのかという意識を持ち続ける事、そして、何かが起きた時に自然に奉仕する事へと導いてくれますように。神の民は、自分たちの隣人に対して、即座に思いやりと心配りを持って接することができる時、神さまへの信仰、神さまの戒めに対する忠実さ、そして、生活の中でのイエス様の中心性をはっきりと示すことができるのです。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2025年7月6日

    今週の福音

    第1朗読 イザヤ書        66章10~14c節
    第2朗読 ガラテヤの信徒への手紙  6章14~18節
    福音朗読 ルカによる福音書 10章1~12、17~20節

    年間第14主日

     私たちは、今日、内なる平和、喜び、弟子であるという事といったキリスト者としての信仰の背景にあって、お互いに関連しているテーマについて黙想するようにと招かれています。私たちが語るべき平和とは、本当のキリスト者としての生き方を受け入れる事によってもたらされるもので、本当のキリスト者としての生き方を受け入れている人は皆、イエス様の十字架と自分たち自身を同一視する事が、平和をもたらすという事を理解しています。私は、確実に平和と喜びをもたらすために、キリストの十字架と私たち自身をどのように同一視すればよいのかを理解するよう、誠実な心で腰かけ、あるいはひざまずく必要があると固く信じています。
     今日の福音朗読では、「平和と喜び」をもたらす者、つまり、キリスト者としての喜びを証しする者は、神さまのぶどう園の本当の働き手であると語っています。キリスト教の信仰、いわゆる2000年以上も前から起源するカトリックは、現在も世界中に広められています。けれども、大切なのは、洗礼を授けるという儀式だけでなされるものではない(なされるものであってはならない)という事です。第2朗読では、私たちの信仰とキリストの内にある洗礼の意味する事について、もっと深く掘り下げるようにと勇気付けてくれています。本物の弟子になる事への召命について、さらに深く黙想するようにと導いてくれているのです。私たちは、純粋に/本当のひととなるために変わるようにと、そして、イエス様の似姿としての「新しい創造物」となるようにと、召されています。確かに、パウロのガラテヤの教会への手紙で、確かなるキリスト教(現在、多くの宗派の中で組織化され確固たるものとなっているカトリック)は、「新しい創造物」となるための最も効果的な道であると語っています。
     常に、洗礼を受ける人々の数は増え、その数は大いなるものとなるであろう可能性があります。イエス様が二人ずつ組にして遣わされた72人の弟子たちに言われたイエス様のみことばは、本物の弟子となる(「新しい創造物」となる)事の緊迫さをよく言い表しています。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のための働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」この言葉は、司祭や修道者に対する召命だけではなく、私たち皆への召命なのです。
     何故、近年の働き手が少ないのでしょうか!私たちの平和と喜びの源となっているのものは、働き手が少ない事の理由となり得ます。キリスト者としての私たちの成すべきこと(召命)は、平和をもたらす者となる事です。何よりもまず、私たちには、平和と内なる平安が必要なのです。イエス様にもっと近づいて従う事は、私たちを平和をもたらす者になる事へと導いてくれます。
     平和をもたらす者は、たくさんの荷物を持つことはしません。たくさんの荷物を持つという事は、収穫したものを集めにくくしたり、集められなくしてしまうからです。内なる平安は、物質的なものを持つ事とは真逆のものです。「新しい創造物」となった者にとって、内なる平安は、不必要な恐れを取り除いてくれます。それは、常に、社会的に個人個人や共同体の状況や視点を超えています。また、常に、世界規模での権力や影響力をも超えています。
     私たちが、最終的には、本物のキリスト者としての平和と喜びが、内なる平安に基づいているという事を集約することができますように。イエス様(かつてこの地上においでになり、受難を受け、十字架上で亡くなり、そして、復活された方)にもっと近づき従う事で、多くの人々ひとりひとりに遣わされた者として、私たちは、心の豊かさと喜びと歓喜と共に、誰にも奪う事のできない内なる平安と自信と得るのです。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 2025年7月カトリック中原教会からのお知らせ

    物品寄付のお願い

    第三部門(社会福祉)

    ダルク(薬物依存症からの回復サポート施設)、サーラ(女性からの相談を受け自立支援する団体)から、次の物品が不足しているとのことですので、みなさんからの寄付を募ります。ご協力お願いいたします。
    お御堂の入口に段ボールの箱を置いて置きますのでよろしくお願いします。
    ・食料品:強力粉、薄力粉、調味料、缶詰、緑茶など
    ・日用品:食器洗剤、洗濯洗剤など
    ・中原パトロール:使い捨てカイロ。

    「聖書を読む会」の参加者募集

    第二部門(教育支援)

    近藤神学生が立ち上げてくださった『聖書を読む会』は日曜日の10:10〜10:40まで第2信徒会館図書室で行っております。どなたでもご参加頂けます。現在旧約聖書を朗読中ですが聖書をお持ちにならなくても教会にある聖書を借りることができます。皆さまのご参加をお待ちしております。

    7/26(土)憐れみの聖母祭

    教会役員

    毎年7月最終日曜日の前日土曜日は、「憐れみの聖母祭」です。今年は、7/26(土)になります。皆さま、常日頃の憐れみの聖母のとりはからいに感謝し、お祈りをしましょう。ミサ時間等は計画中です。決まり次第ご連絡します。
    11:00 ミサ(予定)
    ミサ後懇親会

    7/27(日)祖父母と高齢者の世界祈願日

    協会役員

    カトリック教会の「祖父母と高齢者のための世界祈願日」は、教会暦でイエスの祖父母、聖ヨアキムと聖アンナの日(7月26日)に近い、7月の4番目の日曜日に定められています。2025年度は7月27日(日)に記念されます。
    教皇フランシスコが、今年の同祈願日のために選んだテーマは、「希望を失うことのない人は、幸いだ」(参照 シラ書14,2)

    7/13(日)ボサノバ・サマーチャリティコンサート

    第三部門(社会福祉)

    ボサノバ・サマーチャリティコンサートを行います。ぜひ、楽しんでください。出演は、アントニオ黒田(Vo/Guitar)、竹内章人(Violin)、村越俊一(Drums)。このコンサート売上は、カラカサン、女性の家サーラー、アルペなんみんセンター、途上国の抱える債務取り消しを求めるジュビリー2025の活動へ寄付します。
    13:00開場 13:30開演  1,500円全席自由

    7/20(日)ミサ後「掃除の日」

    施設管理部

    毎月第3日曜日のミサ後、お掃除当番に入っていない方を対象に聖堂や第一信徒会館のお掃除をします。ダルクの皆さまも一緒に参加します。

    6/29(日)山口神父様司式

    第一部門(典礼)

    6/29(日)の主日ミサの司式は、貝塚・浅田教会 山口神父様になります。

    6/29(日)信仰セミナー

    第三部門(社会福祉)

    ミサ後に、川崎マック、川崎ダルク信仰セミナー (於 中原教会) があります。ぜひご参加ください。

  • 今週の聖書朗読 2025年6月29日

    今週の福音

    第1朗読 使徒言行録        12章1~11節
    第2朗読 テモテへの手紙 2 4章6~8、17~18節
    福音朗読 マタイによる福音書   16章13~19節

    聖ペトロ 聖パウロ使徒

     今日は、私たちの典礼の沿った伝統的な主日です。私たちは、世界中の教会が持つ役割への知識と理解をもっと深める事を目的とした教会の特別な祭日をお祝いしています。地上において神の国を広めるようにという召命に、共に応えたペトロとパウロを通して、初代教会の頃から忠実に受け継がれている伝統を保ち守るためのはっきりとした組織といった多くの側面において、教会はその始まりから現在に至るまで、これらを持続させてきました。忠実であるという事は、たくさんの人種や文化に対して、神さまの御ことば(聖書)の伝統と解釈を広める教会の一貫性と統一性を持つ事を意味します。また、ペトロは、教会に普遍性をもたらす多くの側面を、パウロは、預言的かつ宣教的な教会の役割りを象徴しています。教会の具体的な役割りは、神の国の建設をもっと拡大させ、世界中にもっと広める事なのです。
     今日の私たちの黙想が、教会の歴史の中で何が起こったのかという事だけにとどまりませんように。私たちが、ペトロとパウロ、そして、彼らの後継者たちへの聖霊の導きを受け入れ続けることで、すべての私たちの教会生活を通して、今までの指導者たちによって植えられた種の実りが、新しい社会の問題や、貧困、不正、差別、自由と平和の欠如という問題を抱える世界を変えていくという挑戦に対して、教会がほんとうに応えていく事ができますように。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2025年6月22日

    今週の福音

    第1朗読 創世記 14章18~20節
    第2朗読 コリントの信徒への手紙一 11章23~26節
    福音朗読 ルカによる福音書 9章11b~17節

    キリストの聖体

     私たちは、ミサが最高の祈りの形態であることを理解して、日曜日の典礼にいつものように与っています。私たちは、共同体としてミサを祝います。実際、私たちはミサに与る度に、神さまに私たちをお捧げし続けている事の理解を深め続けていくのです。私たちは、文字通りキリストの御からだをいただき、私たちのこころとからだが強められ、そして、こころが新たにされます。今年のお祝いでは、特に福音朗読の中で強調されているように、私たちの「回心」の実り、つまり、イエス様が五千人の人々の空腹を満たされたように、私たちも人々を満たすという召命を受け止めることができた事を広めるようにと召されています。
     第1朗読では、サレムの王であり、祭司であるメルキゼデクについて書かれています。彼は、祭司としての役割として、アブラハムにパンとぶどう酒を与えました。この出来事は、パンとぶどう酒がキリストの御からだと御血となる聖体祭儀を予示しています。私たちは、また、永遠の祭司であるキリストについて、そして、イエス様の究極のいけにえとしてご自身をお捧げになったことについて黙想します。
     また、私たちは、共同体としての今日のお祝いを大切にしています。典礼としてミサを祝うという事は、まさに本質であり不可欠なもので、そして、積極的な参加が求められる共同体の祭儀です。積極的に参加するという事は、こころとからだをほんとうの平静さのうちに保ち、一人ひとりがイエス様のご生涯、ご受難、死、そして、ご復活において、自分自身をほんとうに見極めるようにと求められる事です。積極的に参加する一人ひとりは、キリストの御からだの一部として、ひとつのからだ、つまり、キリストの御からだとしての信仰共同体を形づくります。結果として、一人ひとりがイエス様と完全に一致するという事は、イエス様と共同体とのつながりとなります。今日の第2朗読の次の章(1コリント12.12~)では、キリストの御からだとしての信仰共同体について書かれています。からだはひとつでも、多くの部分から成っています。私たちは、キリストの御からだなのです。私たちの一人ひとりは、キリストの御からだの一部なのです。
     今日のキリストの聖体の祭日について、私たちが黙想を続ける中で、一般的に主の晩餐のミサとして理解されている聖週間の木曜日の典礼のテーマに少し近づくかもしれません。そうなった場合、強調されることは、イエス様がご聖体を制定された事、そして、イエス様のご受難と死の前の最後の宣教のひとつとしての私たちへの贈り物であるご聖体についてです。贈り物としてのご聖体は、人類の想いとこころに永遠に保たれるべき神さまの愛の記念となります。イエス様は、最後の晩餐の時に、ご聖体を制定されました。イエス様は、パンがイエス様の御からだであり、杯が新しい契約の御血であると言われ、私たちは、このパンを食べ、この杯を飲む度に、イエス様が再び来られる時まで、イエス様のご受難と死を告げ知らせるのです。
     ミサ以外の時でさえも、イエス様はパンの姿でご聖櫃におられます。ご聖体を訪問し、ご聖櫃の前で「まさに、居られる」という存在故に、ご聖体の神秘の恵みをいただくという事は、敬虔なカトリック信者にとって、慰めとなる祈りの方法です。ご聖体のそばに居ることは、退屈でも疲れる事でもありません。それどころか、実際、ご聖体の内にほんとうに居られるイエス様の御ちからは、私たちをもっと近くへと引き寄せ、「まさに、そこに居られる」という存在故に、もっとたくさんの時間をと望むようにと導かれるのです。ご聖体の内にある御ちからは、また、私たちと同じ信仰を持つ病者の癒しへと広がっていくという信仰でもあります。ご聖櫃の前で静かな時を過ごす人々や、同様に、聖体顕示(聖なるひととき)に与る人々は、神さまの祝福を受けるのです。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2025年6月15日

    今週の福音

    第1朗読 箴言 8章22~31節
    第2朗読 ローマの信徒への手紙  5章1~5節
    福音朗読 ヨハネによる福音書 16章12~15節

    三位一体の主日

     今日、私たちは、神さまの知恵についての黙想を始めます。基本的に、神さまの知恵は、神さまが、父と子と聖霊の3つの位格が一体となっておられるという私たちの信心の表れです。三位一体の3つの位格は、いずれも完全な神さまです。たしかに、たとえ三位一体のうちにある神さまの知恵のほんの一部であっても、理解することはとても重要な事であり、それ故に、神さまについての核となるものを、もっと深く理解する事につながります。さらに、三位一体は、すべての始まりから、どのようにして神さまが、私たち皆と関わってくださっているのかを教えてくれます。聖書は、三位一体の神秘について教え、教会は、私たちの信仰の三位一体の概念を通釈してくれます。神さまの愛に対する異なる観点からの私たちの信仰の三位一体の概念が示されることで、同時に、私たちはたくさんの、そして、様々な方法で、神さまとのつながりを見出すことができます。私たちの父である神さまは、創造物を通して、私たちとつながってくださっています。神さまは、日々の生活の中で出会う良い経験や、あまり好ましくないと思われるような経験を通して、私たちがこれから見出すべき素晴らしいものを創造し続けておられます。いつも救い主である神さまは、私たちが悔い改め、神さまに立ち返り、もっと思いやりやゆるしのこころを持つようにと招いておられます。
     今日の福音朗読では、真理の霊について書き続けられています。この真理の霊は、歴史上でも、使徒たちのキリストのすべてに対する理解が持つ、多くの限界を埋める導き手となっていました。キリスト者の共同体を形づくり、すべての信徒たちの信仰がもっと深く育つように導き、そして、多くの人々を信仰へと導くことは、いつも真理の霊の導きを通して行われているのです。
     この同じ真理の霊によって、現在、私たちは1つの教会として生きています。私たちの教会生活に注がれるすべての恵みは、聖霊を通してのものです。今日のミサに与り、いろいろな祈りの集いに参加し、隣人たちと他愛なく語らい、お互いを知り合うという事で、今日の祭日が私たちに与えようとしている、隣人たちと共に愛のうちに生き、つながりを持ち続けるという今日の招きを、私たちが理解することができますように。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 2025年6月カトリック中原教会からのお知らせ

    物品寄付のお願い

    第三部門(社会福祉)

    ダルク(薬物依存症からの回復サポート施設)、サーラ(女性からの相談を受け自立支援する団体)から、次の物品が不足しているとのことですので、みなさんからの寄付を募ります。ご協力お願いいたします。
    お御堂の入口に段ボールの箱を置いて置きますのでよろしくお願いします。
    ・食料品:強力粉、薄力粉、調味料、缶詰、緑茶など
    ・日用品:食器洗剤、洗濯洗剤など
    ・中原パトロール:使い捨てカイロ。

    「聖書を読む会」の参加者募集

    第二部門(教育支援)

    近藤神学生が立ち上げてくださった『聖書を読む会』は日曜日の10:10〜10:40まで第2信徒会館図書室で行っております。どなたでもご参加頂けます。現在旧約聖書を朗読中ですが聖書をお持ちにならなくても教会にある聖書を借りることができます。皆さまのご参加をお待ちしております。

    6/15(日)ミサ後「掃除の日」

    施設管理部

    5毎月第3日曜日のミサ後、お掃除当番に入っていない方を対象に聖堂や第一信徒会館のお掃除をします。ダルクの皆さまも一緒に参加します。

    6/8(日)消防避難訓練

    防火管理委員会

    6/8(日)ミサ後に、消防避難訓練を実施します。ご参加をお願いします。

    6/29(日)主日ミサ 山口神父様司式

    第一部門(典礼)

    6/29(日)の主日ミサの司式は、貝塚・浅田教会 山口神父様になります。

    6/29(日)信仰セミナー

    第三部門(社会福祉)

    ミサ後に、川崎マック、川崎ダルク信仰セミナー (於 中原教会) があります。ぜひご参加ください。

  • 今週の聖書朗読 2025年6月8日

    今週の福音

    第1朗読 使徒言行録 2章1~11節
    第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章8~17節
    福音朗読 ヨハネによる福音書 14章15~16、23b~26節

    聖霊降臨の主日

     今月の黙想の大切なポイントは、神さまとのすべてのつながりのうちにある私たちの生活における、神さまの大いなる、そして、とても特別な執り成しの集大成に焦点を当てています。いつも使徒たちと教会全体においての聖霊降臨の祝日をお祝いする時、毎年の過ぎ越しの神秘(ご受難、死、ご復活)とイエス様の昇天の記念はその頂点に達します。
     私たちが日々の生活の中で、そして、私たちのモチベーションの中でさえも、キリストの神秘と、復活されたキリストへの私たちの信仰の中心となっている望みと希望を、深い理解のうちに見出すことができますように。使徒たちとイエス様の教会全体においての歴史上の聖霊降臨を通して、そして、日々の聖霊の執り成しとひらめきを通して、私たちの毎日の生活にイエス様が手を差し伸べ、形づくり、清めて下さっているという、イエス様の永遠の存在の現実を心から理解することができますように。
     この聖霊が、私たちを、イエス様の永遠の存在における本当の信仰と平和と喜びへと導いてくださいますように。私たちがお互いに和解と一致の担い手となるよう、この平和と喜びを持ち続けましょう。
     いつくしみの父である私たちの神さまは、イエス様の死とご復活を通して、私たち皆を神さまと和解させてくださいました。聖霊のひらめきを通して、私たちもまた、他の兄弟姉妹たちと共に、そして、他の兄弟姉妹たちのために、キリストの平和と和解の担い手にふさわしい者となるのです。
     聖霊降臨の祭日をお祝いする事で、私たちが、あらゆる傷や分裂を喜んで癒すことのできる担い手となるように、勇気付けられますように。
     また、聖霊は、私たちを、キリストのいつくしみと平和を伝える者となる事ができるようにしてくださるための賜物を与えて下さる事を理解しています。聖霊からの豊かな霊的賜物を受け、これらの霊的賜物がもたらす輝きによって、私たちは、教会がそうであるように、リーダーシップを持つようになり、それ故に、隣人たちをキリストに近づけるための道具となるのです。
     教会と私たちの間での聖霊の力と存在を信じる事で、本物のリーダーシップを持った教会の実現のために、カリスマに満ち溢れる天国の諸聖人、私たちみんなの保護者に、共同体としての私たちと共に歩んでくださるよう願い続けましょう。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー