投稿者: 管理者

  • 今週の聖書朗読 2026年8月23日

    今週の福音

    第1朗読 イザヤ書 22章19~23節
    第2朗読 ローマの信徒への手紙 11章33~36節
    福音朗読 マタイによる福音書 16章13~20節

    (外部サイト:聖パウロ女子修道会が開きます)

    年間第21主日

    すべては神の権威と保護の下にある

    私たちが日曜日に教会に来るとき、あるいは時には平日にも教会に来るとき、私たちはイエスがキリストであり、私たちの日々の生活の主であると宣言します。

    教会において、私たちは神の豊かな恵みを受けます。秘跡を通して、私たちはイエスをより深く知るようになります。また、キリストの中にある私たち自身の命をより豊かに体験します。共同体と共に祈ることも大切です。ミサに参加することは、私たちの信仰を深める助けとなります。これらの経験を通して、私たちはイエスをますます深く知るようになるのです。

    私たち一人ひとりは、イエス様についてそれぞれ異なる理解を持って教会にやって来ます。私たちはそれぞれ異なる家庭環境で育ち、異なる出自や人生経験を経てきました。そのため、イエス様に対する理解や応答の仕方も人それぞれ異なるのです。

    今日の典礼は、私たちにある大切なことを深く考えるよう、促しています。私たちは、イエスを心から主であり救い主と認める人々と共にいるという、深い恵みを得ています。この人々は教区内の友人かもしれませんし、教区外の友人たちかもしれません。仲間の信仰は、私たち自身の信仰を強めてくれるでしょう。

    人生の厳しい現実にもかかわらず、あるいはまさにその現実ゆえに、私たちはイエスへの信仰を他者に伝えることができます。どのようにしてイエスをキリスト、救い主として認めるようになったのかを分かち合うことができるのです。そうすることで、私たち自身もまた、他者にとって祝福となるのです。

    私たちの存在は、教区共同体にとって祝福となり得ます。また、私たちのより小さな友人たちの共同体にとっても祝福となり得ます。

    日々の生活の中で、心からイエスを主として認めることができる人は幸いです!

    ペトロがイエスをキリストと認めたことは、力強い信仰の行為です。彼はイエスを救い主、そしてメシアと認めました。この同じ信仰が私たちにも必要です。それは、私たちがカトリック信者としてのアイデンティティに忠実であり続けるための、一つの必須要素です。聖体拝領を受けるとき、私たちはイエスへの信仰を表明しているのです。私たちはイエスの神性を認め、私たちの間におけるイエスの権威を認めているのです。

    しかし、今日の聖書朗読は、私たちに別のことも思い出させてくれます。神の知恵は広大です。私たちはそれを完全に理解することはできません。人生には、私たちが理解できないことがたくさんあります。説明できないこともたくさんあります。

    しかし、私たちは神により頼むことができます。

    私たちは神の権威の下にあり、また神の御加護のもとにあります。キリストは聖体の中に存在し、また他の秘跡を通しても私たちのために存在してくださいます。聖霊は教会の中で働き続け、私たちの信仰共同体の中で働き、そして私たち一人ひとりの心の中でも働いておられます。

    神は私たちを祝福し続けてくださいます。たとえ私たちが弱く不完全であっても、神は私たちを聖なる者としてくださいます。神は旅する教会を導き続けてくださいます。神は私たちを、より深い神への理解へと導いてくださいます。

    したがって、イエスをキリストであり主であると認めることは、単に口先だけのことでは ありません。

    それは、私たちがそこへ呼ばれている、生き方そのものなのです。

    私たちは神の権威を認めます。

    私たちは神の御加護を信じています。

    私たちは教会の中で、主と共に留まります。

    そして私たちは互いに、神をより深く知るよう助け合います。

    私たちは皆、神の権威と御保護の下にいます。

    そして、これこそが私たちが互いに与え合うことができる最大の祝福の一つなのかもしれません:

    イエスを認識し、イエスに信頼し、イエスを日々の生活の主として生きるよう、お互い助け合うこと。

    __________________________

    私たちは皆、神の権威と御加護のもとに

    今日の福音で、イエスは弟子たちに、ある大切な問いを投げかけます。「あなたがたは、わたしを何者だと言うのか。」この問いは、ペトロだけに向けられたものではありません。

    今日、ここにいる私たち一人ひとりにも向けられている問いです。私たちは、「イエスはキリストです」「イエスは主です」と答えることができます。でも、イエスが私たちの人生の主であるとは、実際にはどういうことなのでしょうか。

    今日、私たちはこのことを少し考えてみたいと思います。人生が思い通りにならない時にも、私たちはイエスを信頼できるでしょうか。すべてを理解できない時にも、神にゆだねることができるでしょうか。そして、私たち自身が、誰かにとって神の愛や支えとなることができるでしょうか。すべてが順調な時に、「イエスを信じています」と言うことは、それほど難しくないかもしれません。

    では、人生が難しくなった時はどうでしょうか。病気になった時。家族のことで悩む時。将来が見えない時。一生懸命祈っているのに、答えが見えない時。その時、私たちは、「なぜ、こんなことが起きたのでしょうか。」「なぜ、神はこのことを許されたのでしょうか。」
    と問いかけることがあります。そして、時には答えが見つかりません。

    今日の第二朗読で、聖パウロは神の知恵について語っています。「神の判断は何と究めがたく、その道は何と極めがたいことか。」神の知恵は、私たちの理解をはるかに超えています。私たちは、神についても、自分の人生についても、すべてを理解できるわけではありません。だからこそ、信仰とは、すべてを理解することではありません。分からない時にも、神を信頼することです。これは、いつも簡単なことではありません。祈り続けても答えが見えない時、それでも祈り続ける。解決が見えない時、それでも希望を失わない。自分ではどうすることもできない時、神にゆだねる。そして時には、「主よ、私は今、何が起きているのか分かりません。でも、あなたを信頼します。」と祈ることです。ペトロも、いつも強い信仰を持っていたわけではありません。イエスを「メシア」と告白した後も、恐れたり、迷ったり、最後にはイエスを知らないと言ってしまいました。それでも、イエスはペトロを見捨てませんでした。私たちも同じです。私たちの信仰が弱くなる時があります。迷う時もあります。神に問いかける時もあります。それでも、神は私たちを見捨てません。

    私たちは神の権威のもとにいます。そして、神の御加護のもとにいます。
    神の御加護のもとにいるということは、困難がなくなるという意味ではありません。病気になることもあります。失望することもあります。大切な人を失うこともあります。祈っても、すぐに答えが見えないこともあります。しかし、神の御加護とは、困難の中でも、私たちは一人ではなく、見捨てられていないということです。キリストは私たちとともにおられます。聖体の中におられます。聖霊は教会の中で働いておられます。そして、私たち一人ひとりの心の中でも働いておられます。そして時には、神の御加護は、別の人を通して私たちに届きます。苦しい時に、誰かが話を聞いてくれた。孤独な時に、誰かが声をかけてくれた。誰かが自分のために祈ってくれた。何も言わずに、ただそばにいてくれた。そういう人を通して、私たちは神の愛を感じることがあります。そして、私たちも誰かにとって、そのような存在になることができます。私たち自身が、誰かにとって神の愛や御加護のしるしになることができるのです。私たちの言葉。私たちの祈り。私たちの忍耐。私たちが人の話に耳を傾けること。誰かをゆるすこと。その一つひとつが、誰かにとって大きな支えになるかもしれません。ですから、今日の福音を通して、もう一度、自分自身に問いかけてみたいと思います。「私は、分からない時にもイエスを信頼しているだろうか。」そして、「私がそこにいることで、誰かが神の愛を感じることができるだろうか。」私たちは、人生で起こるすべてのことを理解することはできません。神の計画をすべて理解することもできません。でも、神を信頼することはできます。神とともに歩み続けることができます。そして、お互いに神とともに歩むことを助けることができます。だから、イエスを「キリスト」「主」と告白することは、教会の中で言葉にするだけではありません。それを、毎日の生活の中で生きることです。人生が喜びに満ちている時も、主を信頼する。人生が難しい時も、主を信頼する。理解できる時も、主を信頼する。そして、理解できない時にも、それでも主を信頼する。なぜなら、私たちは一人ではないからです。私たちは神の権威のもとにいます。私たちは神の御加護のもとにいます。そして、私たちがお互いに与えることのできる大きな祝福の一つは、お互いにイエスを認め、イエスを信頼し、日々の生活の中で主とともに歩むことを助け合うことなのかもしれません。
    アーメン。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2026年8月16日

    今週の福音

    第1朗読 イザヤ書 56章1、6~7節
    第2朗読 ローマの信徒への手紙 11章13~15、29~32節
    福音朗読 マタイによる福音書 15章21~28節

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    年間第20主日

    イエスはすべての人を気遣ってくださいます
     …見放しているという印は何もありません

    今日の聖書朗読を通して、私たちは呼びかけられています:たとえ日常生活の中で、慈しみ深い神についての私たちの信念と矛盾するように思える出来事があったとしても、神の愛、慈悲、導き、そして摂理に対する信頼と確信を深めていくようにと。

    世界の現実と私たち自身の個人的な経験は、時に私たちに見捨てられたような気持ちを抱かせることがあるかもしれません。深刻な病気、人の間違いによる事故、自然災害、そして罪のない人々の苦しみは、しばしば私たちに次のような問いを抱かせます:

    なぜ神はこのようなことが起こるのを許されるのか?

    なぜ神はこれほど多くの人々が苦しむことを許されるのか?

    これらの問いは難しいものであり続け、完璧な答えが私たちには見つからない場合もあるでしょう。しかし、信仰を持つ者として、私たちは忍耐強くあり続けるよう、求められています。それは、神に自分の望みを願うだけでなく、神の前で正直に心を開き、神が私たちに何を望んでおられるのかを理解するための恵みを求めることも意味するのです。

    真の忍耐強い祈りとは、ただ神に、自分の求めるものをそのまま与えてくれるよう求めることではありません。それは、心がより平安になり、神の御心に沿うようになるまで、神と共にあり続ける意志を持つことでもあります。私たちの希望は、ただ望むものすべてを受け取ることではありません。私たちのより深い希望は、自分にとって真に良いものを見つけ、神の御心と調和していくことなのです。

    今日の福音書朗読は、イエスとカナンの女性との出会いを描いています。

    最初は、福音書は難解にも見えます。イエスは、自分はイスラエルの家の失われた羊のところにだけ遣わされたとおっしゃっています。弟子たちも、その女性に立ち去ってほしいと思っているようです。

    しかし、カナンの女性は諦めませんでした。彼女はイエスを信じ続け、祈り続け、イエスが娘を助けてくださると信じ続けました。彼女の忍耐強さは、重要なことを明らかにしています。彼女は、他の人々がまだ十分に理解していないイエスの本質を既に認識しているのです。彼女は、イエスの慈悲は、人々が神の愛の周りにもうけた境界線よりもはるかに大きいと信じていました。

    そして イエスは彼女の信仰を称賛します。これは今日の福音の重要なメッセージの一つです。イエスはすべての人を気遣ってくださいます。神の愛は特定の民族、国、集団、共同体に限定されるものではありません。イザヤ書からの第一朗読は既にこのより広いビジョンを示しています。神の家はすべての人々のための祈りの家となるべきものです。 カナンの女性はこの真理のしるしとなります。しかし、福音にはもう一つ重要な側面があります。弟子たちも学ぶ必要がありました。彼らは誰が仲間で、誰が仲間でないかについて彼ら自身の考えを持っていました。彼らはイエスの使命について自身の理解を持っていました。しかし、この出会いを通して、彼らにはやがて想像をはるかに超える使命のための備えがされたのです。彼らの前に立っていた女性は、単に奇跡を求める人ではありませんでした。彼女はまた、弟子たちがいつか仕えることになる人々の予兆でもあったのです。

    弟子たちはやがて福音を宣べ伝え、赦し、癒し、和解をもたらすために遣わされることに なりました。それは、彼らにとって馴染みのある人々だけでなく、彼らが仕えることを想像すらしていなかった人々にも及びました。したがって、カナンの女との出会いは、弟子たちに神の使命に対する理解を深めるよう促すものになったのでした。

    そしてそれは私たちに課題を突きつけるものでもあります。

    私たちもまた、時に神の愛の周りに境界線を設けてしまうことがあります。ある人は別の人よりも愛されるに値すると考えたり、特定の人を許すことが難しかったりするかもしれません。また、無意識のうちに、神の慈悲は私たちのような人に向けられたものであり、他の人には向けられていないと信じてしまうこともあるでしょう。

    しかし福音は、すべての人を包み込むイエスの御心に、より深く耳を傾けるよう私たちを招いています。カナンの女性は、祈りについても私たちに大切なことを教えてくれます。彼女は諦めませんでした。彼女の忍耐は、権利意識に基づく要求ではなく、イエスに対する謙遜かつ揺るぎない信頼に基づくものでした。これこそ、私たちが持つべき忍耐なのです。

    祈るとき、私たちは必ずしも神が何をなさっているのか理解できないかもしれません。期待する答えをすぐに受け取れないかもしれません。神が沈黙しているように思える瞬間さえ あるかもしれません。しかし、沈黙は必ずしも見捨てられたことを意味するわけではありません。遅れは必ずしも拒絶を意味するわけではありません。そして、苦しみは神が私たちを気遣うことをやめたことを意味するわけではありません。福音は、イエスと共に 留まり、耳を傾け続けるように私たちを招いています。イエスが私たちの世界の現実について語っておられることに、もっと注意深く耳を傾けましょう。イエスがこう言われていることが聞こえるまで、耳を傾け続けましょう。

    神はあなたを見捨ててはいません。

    神はあなたを気にかけてくださっています。

    神の愛は、私たちが作り出す境界線よりもはるかに広いのです。

    そして、私たちがこのことを真に理解し始めるとき、私たちは、招かれた場所へ行き、招かれていることをする勇気をより強く持つようになるでしょう。なぜなら、イエスは すべての人を気遣ってくださるからです。そしてイエスがすべての人を気遣ってくださるなら、私たち弟子もまた、すべての人を気遣うように召されているのです。イエスの御心には、見捨てるというしるしは一切ありません。そこにあるのは、探し求め、癒し、赦し、受け入れ続ける愛だけです。アーメン。

    _____________________

    時々、私たちは、とても大切なことを神様にお願いします。そして、神様がその祈りに答えてくださることを心から願います。でも、何も変わらないように思える時があります。

    祈っても、状況が変わらない。神様に助けを求めても、答えがないように感じる。
    そして、「神様は本当に私の祈りを聞いてくださっているのだろうか」と思ってしまうこともあります。

    今日の福音には、とても人間らしい話が出てきます。
    一人のカナンの女性が、苦しんでいる娘のためにイエス様のところへ来ます。そして、イエス様に助けを求めます。でも、最初は、イエス様が答えてくださらないように見えます。弟子たちも、この女性を帰らせようとします。それでも、彼女は帰りません。

    彼女は、何度もイエス様に助けを求めます。自分にはイエス様が必要だと知っていました。そして、イエス様なら娘を助けることができると信じていました。

    私は、この女性の姿をとても素晴らしいと思います。
    彼女は、すべてを理解していたわけではありません。イエス様がどうしてくださるのかも分かりませんでした。それでも、イエス様を信頼し続けました。
    私たちの祈りも、時には同じです。

    家族のために祈ることがあります。病気の人のために祈ることがあります。どうしたらよいか分からない問題のために祈ることもあります。平和のために祈ることもあります。
    そして、自分にとって、とても大切なことを祈ることもあります。
    でも、私たちが願っているような答えが、すぐに与えられないこともあります。
    では、その時、私たちはどうしたらよいのでしょうか。
    カナンの女性が教えてくれます。
    私たちは、神様を信頼することをやめなくてもいいのです。

    祈り続けるということは、神様に自分の願いを無理に聞いてもらうことではありません。
    分からない時でも、神様と一緒にいることです。
    時には、神様が状況を変えてくださることがあります。
    また、神様が、その状況を乗り越える力をくださることもあります。
    そして時には、少しずつ、私たち自身の心を変えてくださることもあります。
    今日の第一朗読のイザヤ書も、神様の愛が、私たちが作ってしまう境界よりも、もっと広いことを教えてくれます。

    神様は、「わたしの家は、すべての人の祈りの家となる」と言われます。
    カナンの女性は、弟子たちがイエス様の近くにいるとは考えていなかった人でした。
    でも、イエス様は弟子たちに、そして私たちにも教えてくださいます。
    神様の愛は、私たちが考える範囲だけに限られてはいません。

    そして、これは私たちも学ばなければならないことかもしれません。
    私たちも、心の中に境界を作ってしまうことがあります。
    ゆるすことが難しい人がいるかもしれません。理解できない人がいるかもしれません。
    できれば、少し距離を置いていたいと思う人もいるかもしれません。
    でも、イエス様の心は、私たちの心よりも広いのです。

    イエス様は、すべての人を大切にしてくださいます。
    そして、イエス様がすべての人を大切にしてくださるなら、私たちもイエス様の弟子として、すべての人を大切にすることを学んでいかなければなりません。

    カナンの女性は、何が起こっているのか分からない時にも、イエス様を信頼し続けました。
    私たちも、そこから学ぶことができると思います。
    神様が黙っておられるように感じる時、すぐに「神様は私を見捨てた」と思わないようにしましょう。

    祈っても、思った通りの答えが来ない時も、あきらめないようにしましょう。
    今日、すべてを理解できなくてもいいのです。
    それでも、私たちはこう言うことができます。
    「イエス様、あなたを信頼します。」

    そして、今日はそれだけでもいいのかもしれません。
    祈り続けましょう。神様を信頼し続けましょう。そして、神様の愛は、私たちが見たり理解したりできるものよりも、もっと大きいことを信じ続けましょう。

    アーメン

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2026年8月9日

    今週の福音

    第1朗読 列王記上 19章9a、11~13a節
    第2朗読 ローマの信徒への手紙 9章1~5節
    福音朗読 マタイによる福音書 14章22~33節

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    年間第19主日

    ここ数週間の日曜日に分かち合ったことの中で、多くの考察すべき点が提示されましたが。これらを通して私たちは教会に来ること、ミサに出席すること、秘跡を受けること、教区の共同体のメンバーたちと共に信仰生活を祝うこと、そして様々な形で他者を助けるという呼びかけに応えることが、私たちの心が宝の所であることを示すしるしであると確認し、それに同意するよう導かれてきました。

    ここで私たちが扱っていることは、信仰生活、つまり、私たちの真の宝である、神との関係です。

    今日の福音書では、以前の、イエスと弟子たちがパンと魚を増やして五千人以上の男女子供からなる大勢の人々を満腹させたという出来事の後に来る、弟子たちが舟で先に進む中、イエスが一人で祈るために山に登ったエピソードが語られています。

    今日の福音書の冒頭で、弟子たちは、宣教活動において祈りがいかに重要であるか、イエスがお示しであることを理解する機会を与えられたのでしょう。実際、祈りは単に、数ある重要な要素の一つというわけではありません:祈りはすべての司牧や奉仕の働きの中心にあるのです。 

    イエスご自身が祈りのために山に登られたというのは、弟子たちにとっても絶好の気づきの機会だったのかもしれません:群衆に食事を与えるという奇跡を目撃した後、次にすべき ことは祈りと感謝に時間を費やすことだと気づくための機会です。

    その後、イエスは弟子たちの悪天候--強風と高波を伴う嵐--の体験を、彼らの信仰を強める機会としても利用されました。

    弟子たちは恐れおののきました。彼らは恐怖のあまり、水の上を歩いてこちらに向かってくるのがイエスだとはすぐには気づきませんでした。

    しかし、イエスは自らを現し、その臨在を確信させることで、彼らに平安をもたらしました。嵐のさなかでも、イエスは彼らが決して孤立していないことを思い出させました。イエスはこうして彼らにイエスご自身が臨在し守っておられることを確信させ、彼らをより深い信仰とご自身への信頼に導いたのです。

    時として、あるいは私たちが思っている以上に頻繁に、私たちは神の臨在に気づかないことがあります。困難な時にこそ、その傾向が顕著です。恐怖や不安、不確実さに圧倒 されると、主が近くにおられることに気づかなくなってしまうかもしれません。

    ですから、恐れや不安、人生の嵐のために神の臨在を感じられない時、神が私たちの心を落ち着かせ、平安を体験させてくださるための恵みを注いでくださるよう、祈りましょう。尽きることのない神の臨在、憐れみ、愛を通して、主を賛美しましょう。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2026年8月2日

    今週の福音

    第1朗読 イザヤ書 55章1~3節
    第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章35、37~39節
    福音朗読 マタイによる福音書 14章13~21節

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    年間第18主日

    今日の聖書朗読の意図をより深く理解するために、第二朗読にある聖句の中に出発点を見出すことをお勧めします。パウロはローマの信徒への手紙の中で、「わたしたちの主 キリスト・イエスによって示された神の愛から、何ものもわたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマの信徒への手紙8:39)と述べています。この神の愛が、私たちが必要とするものに関する神様のご配慮とお恵みを通して良い形で表されていることを、第一朗読はしっかりと伝えています。

    神は私たち一人ひとりに、神から食物と飲み物を受け取るよう、招いておられます。この招きを受け入れるとき、私たちはキリスト・イエスにおける神との深いつながりを完全に理解することができるでしょう。神は、真に求めるすべての人々に、愛と憐れみの契約をお与えになります。神が私たちに与えてくださるものが私たちの益となることを理解することは、私たちの人間としての、神への信頼の表明です。私たちは神を信頼し、神の愛と憐れみを求め続け、その招きを受け入れます。神と私たち、すなわち神の民との間の絶え間ない関係は揺るぎないものです。キリスト・イエスにおける神の愛から私たちを引き離すものは何もないことが分かるでしょう。苦難も、心配事も、死も、この継続する関係を断ち切ることはできません。

    私たちは毎週日曜日、あるいは毎日、ミサに集まり、神の恵みと慈しみを賛美します。共に集まり賛美する中で、私たちは互いに関係を深めるよう、促されます。また、神の思いやりと慈しみを共に賛美することができない人々のことも私たちは忘れません。贈り物の交換や分かち合いは、共に集まり賛美することの実りであり、私たちに対する神の慈しみと憐れみを祝う行為の実りとなるのです。

    神の慈しみ、愛、そして憐れみを受け入れる経験を、もっと深めましょう。信頼すること、そして希望を持つことを、もっと深く経験してまいりましょう。

    今日の福音書朗読の中で、イエスはわずか5つのパンと2匹の魚という、いわば乏しい資源でもって、何千人もの人々を養いました。イエスの弟子たちには、特に深い心配事があったわけではありません。しかし、彼らは再び素晴らしい経験と、より深い信仰へと導かれました。5000人以上もの人々を奇跡的に養ったイエスの物語は、なんと素晴らしいものでしょう。この物語は、キリスト・イエスを通して神の慈しみをさらに深く経験するだろうという希望を常に抱かせ、真の思いやりと慈しみへと回心するよう、私たちを強く促します。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • カトリック中原教会からのお知らせ(2026/07/26)

    教会委員会

    教会委員募集

    教会維持・運営にご協力お願いします。以下の役割の委員を募集しております。
    第二部門、第三部門、施設管理部
    自薦他薦をお待ちしております。


    第一部門(典礼)

    週日(平日)ミサ日程

    復活祭以降、週日(平日)ミサは、原則以下になります。最新の日程はホームページのカレンダーでご確認ください。
     毎週月曜日AM 7:00
     毎週水曜日AM11:00
     毎週木曜日AM 7:00

    8/15(土)聖母の被昇天 合同ミサ

    8/15(土)は、聖母の被昇天です。昨年同様、神奈川第一地区で合同でミサを行い、交流会も開催されます。溝の口教会、鹿島田教会、貝塚教会、浅田教会の信徒の皆さまが、中原教会に集まります。ぜひ、ご参加ください。
     16:00 ミサ(中原教会聖堂)
     17:00頃 交流会(第1信徒会館)
    5教会の子供たちを対象としてプログラムも同日ミサ前に行われます。奮ってご参加ください。


    第二部門(信仰教育)

    聖書を読む会

    毎週日曜日10:10〜10:40まで第2信徒会館図書室で『聖書を読む会』を行っております。どなたでもご参加頂けます。現在、箴言を朗読中ですが単発のご参加も歓迎いたします。教会の聖書をご利用頂けます。皆様のご参加をお待ちしております。※ 5.6.7月は第1信徒会館2階図書室で行います。8月は夏休みになります。

    教会学校

    7/12(日)まで教会学校はあり、その後、夏休みに入ります。9/6(日)から再開です。
    日曜日のミサの前、午前10時から、小学生を対象に第二信徒会館で教会学校を実施しています。
    教会学校の学びの効果は生涯に亘ります。ぜひご参加ください。

    図書室

    第二信徒会館の図書室(玄関左側の部屋)に、キリスト教関連書籍が約1500冊保管されています。
    どなた様もご活用いただけます。


    第三部門(社会活動)

    第三部門ミーティング

    8月のミーティングはお休みします。次回は9/13(日)12:30〜第一信徒会館2F会議室の予定です。

    第三部門メンバー募集

    第三部門は「神の愛を証しする力を育てる部門」です。神の愛を証しするにはどうしたらよいかを一緒に考えるメンバーを募集します。また、信徒の交流、外国籍信徒との交流、地域社会への窓口なども第三部門です。一緒に活動してみませんか、あなたの力を貸してください。

    8/15(土)被昇天パーティー

    被昇天は毎年、神奈川第一地区(浅田・貝塚・鹿島田・中原・溝ノ口)の合同ミサ(会場は中原教会)で、その後懇親会を開催します。今年は土曜日に当たっていますので、例年お仕事で参加できない方もぜひご参加ください。また、会場設営(13時~)や料理配膳(14時~)などをお手伝いいただける方も募集しています。


    施設管理部門

    8/16(日)全体掃除(第3日曜日)

    第3日曜日の主日ミサ後に全員で教会施設の掃除を行います。私たち共同体の祈りと集いの場を自らの手で維持していきましょう。

  • 今週の聖書朗読 2026年7月26日

    今週の福音

    第1朗読 列王記上 3章5、7~12節
    第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章28~30節
    福音朗読 マタイによる福音書 13章44~52節

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    年間第17主日

    マタイによる福音書から示される神の国についての考察を続けることで、私たちはその(天の国の)計り知れない価値と重要性を理解することができます。畑に埋められた宝、そして高価な真珠のたとえ話は、いずれも天の国の価値と重要性の計り知れない大きさを 伝えています。

    確かに、宝があると私たちが考える場所にこそ、私たちの心は宿るでしょう。畑に埋まっている宝物を見つけた人は喜び勇んで出て行き、持ち物をすべて売り払ってその畑を買いました。私たちもまた、何かを諦めてでも手に入れたいという気持ちから、長い時間を費やし、多くの努力を惜しまないよう、急かされます。高価な真珠(良い真珠ではある…が、とても高価なもの)を見つけた商人は、持ち物をすべて売り払ってそれを買いました。私たちもまた、その商人のように、どんな犠牲を払ってでもそのもの(とても高価な真珠)を手に入れようと決意し、決断することができるのです。

    ですから、私たちは天の御国の価値と重要性の計り知れない大きさを認識するよう、招かれています。私たちは天の御国を築くために心を尽くすよう、招かれています。私たちは同時にこれまで、自分なりに物事に優先順位をつけ、重要だと思うものやそれらに大きな価値があると思うがために、その基準に沿ってなるべく善良で賢明な行いをしてきました。しかし私たちは常に重要で価値があると考えるものを見直し、再検討し、勇気を持ってそれらを再設定するよう、招かれています。神の子らの心の願いは、福音の価値観に基づいた優先順位を持つことです。神の子らというのは、イエス・キリストの価値観に従って優先順位を再確立しようとする人々のことです。

    私たちの祈り:

         天の父よ、あなたはすべての知恵と理解の源です。どうか私たちすべてに、常に何が正しく何が間違っているかを区別できる知恵、またあなたの御心に沿った選択をする知恵をお与えください。そして、より価値のあるもののために、別の価値を持つものを犠牲にすることを厭わない、理解の心をお与えください。最高の価値あるもののために自らを犠牲にされた私たちの主キリストを通して、このことをお願いいたします。アーメン。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2026年7月19日

    今週の福音

    第1朗読 知恵の書 12章13、16~19節
    第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章26~27節
    福音朗読 マタイによる福音書 13章24~30節

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    年間第16主日

    先週の考察は、 私たちの心に植えられた種を育て 、神の言葉を広める、というテーマに焦点を当てたものでした。今日は、イエスが 天の王国(神の王国)をどのように描写し、何であると説明しているのか、考えていきましょう。

    特定の場所を神の王国の象徴として理解する方が、誰にとっても容易かもしれません。地上に現実に存在する多くの王国を理解するのと同じように。例えば、戦争も苦しみもなくなった時、私たちは神の王国の成就というイメージを思い浮かべます。私たちがこの地上に生きている間に神の王国を体験できるかどうかは、また別の考察の対象となるかもしれません。

    今日の福音書朗読は、私たちが日々真実、正義、慈悲、そして赦しの心をもって生きるの ならば、みな天国を体験できる可能性があることを示唆しているように思えるでしょう。

    今日の第一朗読は、神の権威と力について語っています。しかし、神の正義と力は常に慈しみと共にあります。ですから、私たちは常に慈しみへの呼びかけを受けています。地上にいる間は、すべての人々と、神の創造物すべての尊厳をより高めるよう、求められています。選ばれた少数の人々だけのものではない天の御国を築くことができるまでに、忍耐強く寛大であるよう、私たちは求められています。神の御国のための豊かな収穫こそが、常に私たちの目標であり続けます。

    私たちの祈り:

      天の父よ、私たちの力の源よ、あなたの御聖霊の存在を常に識別し、認めることができますように。特に敵の欺きの策略に遭遇する時にこそ。あなたの御国の成長を遅らせ、妨げる全ての悪の力に対抗する、あなたの摂理と私たちへの忠実さを信じます。私たちが、より忍耐強く、より寛容で、より理解のある者となるよう、お教えください。私たちの主キリストによって、お願いいたします。アーメン。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2026年7月12日

    今週の福音

    第1朗読 イザヤ書 55章10~11節
    第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章18~23節
    福音朗読 マタイによる福音書 13章1~23節

    (外部サイト:聖パウロ女子修道会が開きます)

    年間第15主日

    今日の聖書朗読は、引き続き神のみ言葉を広めることに焦点を当てています。神のみ言葉を広めるよう召されている私たち自身も、日々の生活の中で神のみ言葉を受け入れる姿勢を改めて見直すよう、促されています。このテーマについて深く考えることは重要です。なぜなら、神の言葉を他者に伝えるという召し出しにどれだけ真摯に応えられるかどうかは、私たちが神の言葉をどれだけ深く理解できるかにかかっているからです。また、神との関係が、この召し出しに応える上でどのように役立つかについても、考えてみる必要があります。

    福音書朗読でよく説明されている種まきのたとえ話は、私たちが今日に至るまでキリスト教徒としての生活をどのように送ってきたかを正直に振り返ることができるように、今一度きちんと自分と向かい合って、沈黙して立ち止まるべきだと思い起こさせます。さらに考えるべき点として、私たちは社会、それぞれの家庭、学校、職場、そしてさまざまな人間関係における日々の経験が、神の言葉に対する私たちのふだんの理解にどのような影響を与えるか、ということもあげられます。 私たちは人間ですので、周りの日常の出来事は私たちの感情に影響を与え、おそらく最終的には私たちの動機や視点にもある程度影響を与えます。今日、私たちは大丈夫かもしれないが、明日は大丈夫ではないかもしれない。しかし、私たちの信仰の文脈では、神は私たちの人生における過去と最近の出来事を利用して、種子を育てるためのより良い土壌となり、いわばより大きな実を結ぶ木、あるいは とてもきれいな、大きな花を咲かせる植物に変えることができることを、私たちは理解します。

    時々、私たちは自身が、種子の成長が不可能な、セメントで固められた地面のような硬い土壌のようになっている様を見ることがあります。

    時々、私たちは根の成長が短期間しか続かない、岩だらけの地面のようになっていることもあります。

    時々、私たちは周囲に棘がたくさんある土地のようになることもあります。 これだと、たとえ種子が完全に成長した植物や木になったとしても、花咲く植物や実を結ぶ木としての可能性を最大限に発揮することはできません。

    しかし、神のお恵みは、私たちの心に植えられた種の成長を妨げるどのようなものよりも大きく、強力です。 詩篇のいくつかの励ましの言葉を利用しましょう。土地の実りある収穫は神の介入の産物です。 私たちが言ったり行ったりするすべてのことにおいて、神の介入を私たち自身が見ることができますように。人間の心に植え付けられた神の言葉は 決して無駄にはならず、神の摂理による完璧な時にその目的を達成するでしょう。私たちには常に喜びと感謝の気持ちを持って生きる、十分な理由があります。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • 今週の聖書朗読 2026年7月5日

    今週の福音

    第1朗読 ゼカリヤ書 9章9~10節
    第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章9、11~13節
    福音朗読 マタイによる福音書 11章25~30節

    (外部サイト:聖パウロ女子修道会が開きます)

    年間第14主日

    先週の聖書朗読によると、イエス様に従うにあたっては大変厳しい要求がされます。キリストの弟子と呼ばれるためには、神に仕えながら物質的な所有物を欲しがったり、この世の多くのものに執着していてはなりません。私たちは家族を社会の基本単位であると考えてきましたが、先週の日曜日の福音書では、イエスが「自分の父や母、息子や娘を私よりも優先する者は、私にふさわしくない。自分の十字架を負って私の足跡に従わない者は、私にふさわしくない」とおっしゃっていると、学びました。このような厳しい要求を突きつけられてイエスに従うことは、大変な重荷ではないでしょうか。

    しかし、今日の福音朗読では、神の慈しみをたやすく見出すことができます。神のところに来て、むしろ神のくびきを負いなさい、なぜなら神のくびきは負いやすく、その荷は軽いから、という招きが表現されているのです。先週の日曜日に分かち合った、キリストの弟子としての根本的な要求と、真の平和、解放、喜びへと招く神の温かさと慈しみの間には、矛盾があるように思われます。今日の私たちの基本的な目的は、イエスは一人であり、福音も一つであるゆえに、福音のテーマは互いに矛盾しないということを、見出すことです。

    第一朗読では、エルサレムに、へりくだってロバに乗って来る王、そしてすべての国々に平和をもたらす王について語られています。ゼカリヤ書の王と同一視されるイエスもまた平和をもたらされます。そして今日の福音書では、イエスは特に重労働を強いられ、重荷を担っている人々を招いておられます。

    繰り返しますが、この世のすべてを捨て去るべきと説くキリストの弟子としての生き方と、重荷を負うすべての人への神の招きは、同じことを強調しています。つまり神の愛と憐れみ、そして和解への招きを語っているのです。ですから、今日の第二朗読は、私たちがどのように肉に従って生きてきたか、そして物質的な所有物を唯一の宝、そして唯一のセーフティーネットだと考えてきたか、その結果、私たちの心がどのように肉に従って生き続けてきたのかを、深く考えるようにうながします。この結果、私たちは神の言葉に飢え 渇き、気づかないうちに私たちの生き方が本当に疲れに満ち、また他の人々にも重荷を負わせてきたことに気づくのです。

    私たちは、イエスと共に常に歩むよう呼びかけられています。イエスご自身の人生の見方、基準、価値観と共に歩むことは、容易な軛を​​負い、軽い荷を背負うことを意味します。イエスと共に、そして他の人々と共に軛を背負うことで、弟子としての義務は軽くなるのです。

    主任司祭 アルセ・エクソル・マグボー

  • カトリック中原教会からのお知らせ(2026/06/28)

    教会委員会

    教会委員募集

    教会維持・運営にご協力お願いします。以下の役割の委員を募集しております。
    第二部門、第三部門、施設管理部
    自薦他薦をお待ちしております。


    第一部門(典礼)

    週日(平日)ミサ日程

    復活祭以降、週日(平日)ミサは、原則以下になります。最新の日程はホームページのカレンダーでご確認ください。
     毎週月曜日AM 7:00
     毎週水曜日AM11:00
     毎週木曜日AM 7:00

    7/25(土)憐れみの聖母祭

    毎年7月最終土曜日は、「憐れみの聖母祭」です。皆さま、常日頃の憐れみの聖母のとりはからいに感謝し、お祈りをしましょう。ミサ時間等は計画中です。決まり次第ご連絡します。
    11:00 ミサ(予定)
    ミサ後懇親会


    第二部門(信仰教育)

    聖書を読む会

    毎週日曜日10:10〜10:40まで第2信徒会館図書室で『聖書を読む会』を行っております。どなたでもご参加頂けます。現在、箴言を朗読中ですが単発のご参加も歓迎いたします。教会の聖書をご利用頂けます。皆様のご参加をお待ちしております。詳細、お問い合わせは坂根まで。※ 5.6.7月は第1信徒会館2階図書室で行います。8月は夏休みになります。

    教会学校

    7/12(日)まで教会学校はあり、その後、夏休みに入ります。9/6(日)から再開です。
    日曜日のミサの前、午前10時から、小学生を対象に第二信徒会館で教会学校を実施しています。
    教会学校の学びの効果は生涯に亘ります。ぜひご参加ください。

    図書室

    第二信徒会館の図書室(玄関左側の部屋)に、キリスト教関連書籍が約1500冊保管されています。
    どなた様もご活用いただけます。


    第三部門(社会活動)

    7/18(土)第三部門ミーティング

    7/18(土) 12:30~、図書室で第三部門ミーティングを開催します。第三部門は「神の愛を証しする力を育てる部門」ですが、神の愛を証しするのは信徒のみなさんお一人おひとりです。どなたでも歓迎しますので、ご参加ください。

    7/26(日)福島やさい畑の販売

    次回は7/26(日)に販売を予定しています。今回は桃のシーズンになると思いますのでお楽しみに。近くなりましたら、またご案内いたします。当日朝、田園調布教会に受け取りに行く車を出してくださる方、ミサ後の販売のお手伝いをしてくださる方を募集します。


    施設管理部門

    7/19(日)全体掃除(第3日曜日)

    第3日曜日の主日ミサ後に全員で教会施設の掃除を行います。私たち共同体の祈りと集いの場を自らの手で維持していきましょう。